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ドラマ『姪のメイ』もっと評価されるべき理由をセリフから紐解く。小学生から気付かされ

時刻(time):2023-10-19 17:08源泉(Origin):δ֪ 著者(author):kangli
『姪のメイ』出展:PR TIMES(公益財団法人福島イノベーション・コースト構想推進機構) 人とともに生きるということ、そして愛について。 言葉にすると少々恥ずかしさを感じてしまうこれらのことを、温かな視点で描いたドラマがある。10月12日に惜しまれつつ最終回を迎えた『姪のメイ』(テレビ東京)だ。 本稿では、印象的だった言葉をピックアップする形で、作品を

姪のメイ

『姪のメイ』出展:PR TIMES(公益財団法人福島イノベーション・コースト構想推進機構)

人とともに生きるということ、そして愛について。

言葉にすると少々恥ずかしさを感じてしまうこれらのことを、温かな視点で描いたドラマがある。10月12日に惜しまれつつ最終回を迎えた『姪のメイ』(テレビ東京)だ。

本稿では、印象的だった言葉をピックアップする形で、作品を振り返りたい。






仮住まいで始まった姪との同居生活



本作は小学6年生のメイ(大沢一菜)が事故で両親を亡くすところから物語がはじまる。紆余曲折、というよりは半ば押し付けられるような格好で、メイの母親の弟、つまりメイにとっては叔父にあたる小津(本郷奏多)との期間限定の同居生活が始まった。『姪のメイ』は、叔父と姪が仮住まいのために訪れた福島で繰り広げられる物語だ。

作品の魅力は、生前(そして死後にも)父が語った哲学的な言葉によって小学生とは思えぬ達観した考えを持つメイと小津、そして福島で暮らす人々との交流だ。そこには様々な温かい言葉がそっと添えられていた。






「悲しんだ数と同じ数の笑顔が必要」


物語の舞台は福島県楢葉町。2011年の東日本大震災で全町非難を余儀なくされ、その後2015年9月まで立ち入りを禁止されていた区域だ。

小津とメイは楢葉町にやってきた直後、もともと福島に住んでいた人と最近移住してきた人とをつなぐコミュニティの集会に参加した。そこでは、小津とメイが福島に来た理由や、移住組が福島を住処に選んだ理由なんかをざっくばらんに語り合う。

そして、話題は3.11に。小津は、きっと多くの人がそうしてしまうように、話題を他へ移そうとした。コミュニティの主催者である平田建一(川田広樹)が、含みのある表情をしているのが印象に残る。

会がお開きになったあと、帰り際に平田が言ったのが「悲しんだ数と同じ数の笑顔が必要」という言葉だ。これまで福島はたくさん悲しんできて、いまはまた前を向いて歩き出そうとしている。だからこそ、笑顔が必要なのだ、と。

悲しい出来事が起こっても、再び歩み出す日は訪れる。いつまでも泣いてばかりではないし、周りがタブー視しすぎるのも違う。難しい問題ではあるが、人との向き合い方を考えさせられる、深い言葉だ。













「自分のレベルにあった問題が試練として用意されてる」


メイたちが参加しているコミュニティのメンバーである起業家の岩倉(橋本淳)が、町おこしのために福島県大熊町をロケ地としたドラマの制作を企画した。その作品に、メイも女優として参加することになった。

「まさかこの町から大女優が出るとはね」と、最初こそ余裕綽々のメイだったが、いざ本番を迎えると緊張からかNGを連発。結局、ギャラリーとして撮影を見守っていた平田幸枝(田中美奈子)が代役を務めることに。

意気込んでいたメイを慮って、過剰に心配する小津。それを見かねたように、岩倉は「メイちゃんを子ども扱いしすぎ」と諭す。そして「自分のレベルにあった問題が試練として用意されている。それをクリアしてレベルアップしていくのが人生」と続ける。

実際、小津が心配するほどには落ち込んでいるように見えないメイ。そもそも小学生にして両親を失うという難局に直面したのだ。岩倉の言葉を借りれば、「ハードモード」。メイの強さを小津も実感したに違いない。







「愛こそは存在する最大の力」


平田建一と幸枝には高校生になる息子・純(岩田奏)がいる。受験を控え、反抗期真っただ中の彼を、メイは「反抗期」と呼んでいた。

ある日、花束を持った純が海へ向かうのを尾行するメイ。どうやら純は、亡くなった親友の誕生日か何かを祝いに来ているらしかった。親友の母親とひとしきり話をした後、純とメイは、肩を並べて話す。

純に「なんでみんなと仲良くしないの?」とメイに問われ、「仲良くなったって意味ない」と返す純。「死んじゃう、とか?」「好きな人がいなくなって、また悲しくなるのが怖いから、誰とも仲良くしないってこと?」と、メイは言葉を重ねる。

そして、メイはアインシュタインの言葉を借りて純にアドバイスをする。「愛こそは存在する最大の力」だから、「人をちゃんと好きになったほうがいい」、と。

いなくなってしまうかもしれないから適度に距離を保つのではなく、そうだったとしても目の前の大事な人を好きになるほうを選ぶ。それがきっと、その人が本当にいなくなったときに力に変わる、ということだろう。異なる理由で大事な人を失った経験のある10代の子どもたちだからこそ成立する、剥き出しの言葉が突き刺さる。

人生には大なり小なり悲しいことが起こる。小津とメイがともに生きていくことを決めた福島の地も、12年前に震災に見舞われ、一時は立ち入ることすら禁じられていた地域もある。大事な人を失っただけでなく、故郷すら失うという経験をした人たちがいる。

だけど、どんなに悲しいことがあったって、人も、土地も、立ち直る日がくる。悲しいことや辛いことは、それを乗り越えられる人にしか起こらないはずだから。これはいままさに悲しみのただなかにいる人にとっては綺麗事にしか聞こえないかもしれないが、上を向こうと思ったときにはきっと励ましの言葉になるはずだ。

悲しいことがあっても、いつまでも悲劇のヒロインでいる必要はない。むしろ、いままでたくさん涙を流した分、より多くの笑顔が必要なのだ。そして、人が立ち直るときには必ずそばに“愛”がある。

メイにとってはそれが福島という土地であり、そこに住む人々であり、小津であり、そしていまは亡き両親の存在だった。励まさずとも、寄り添わずとも、ただそこにあるだけで力になる、それが愛なのかもしれない。そんなことをそっと教えてくれる作品だった。

<文/あまのさき>
あまのさき
アパレル、広告代理店、エンタメ雑誌の編集などを経験。ドラマや邦画、旅行、スポーツが好き。




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