お笑いコンビ「パーパー」のほしのディスコさんの著書『星屑物語』(文藝春秋)。今まで誰にも語ってこなかった家族のことが綴られている。ただ、この本でもうひとつ書かれたことは、もっとシビアな現実だ。
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小学校から病気のことで笑われるようになった
彼は物心ついたときには、すでに「生きていてもつらいだけだ」と思っていた。その原因は、口唇口蓋裂(こうしんこうがいれつ)という病気をもって生まれたことだった。500人にひとり程度の割合で生まれるため、決して珍しい病気ではないが、症状は人それぞれ。彼は口唇と口蓋(口の中の天井部分)が裂けた状態だった。
保育園のころから、母は彼に病気についてわかりやすく教えてくれた。2年ごとに高校生になるまで8回の手術を繰り返したという。そのたびに入院し、言語や発声のリハビリも継続的におこなわれていた。
「病気によって鼻の形が左右対称ではないし、唇も非対称だから、どう見ても普通の人とは様子が違う。小学校に入ってから、高学年の生徒たちに笑われるようになったんです。すれ違ってからわざわざ戻ってきて顔を見て笑われたり、呼び出されて『ヘンな顔』と言われたり。ショックでした」

保育園まではヒーローごっこをして遊ぶ元気で明るい子だったのが、小学生になってから一変した。
一度死んだ「設定」で生きる意味を見つけたいと思った
それでも彼は学校に行かなくてはならなかった。家では明るく振る舞っていたものの、つらい思いをしていることを母や家族には言えなかった。年端(としは)もいかない子どもが、どれほど苦しかったか想像に難くない。
毎日毎日、どうしてこんな顔に生まれてきてしまったんだろう、一生笑われながら生きていくしかないんだ……と心が折れ続けた。子どもながらに自分で自分を追い込んでいった。
「生きていても意味がない。そう思ったけど、死ねなかったんです。勇気が出なかったのと、今まで僕のために一生懸命やってきてくれた家族を悲しませることはできなかった」
そこでほしの少年が考えた「設定」が、自分は一度死んだことにするというものだった。そしてもうすでに二度目の人生だから「生きる意味を見つけたい」と思った。

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コント番組で笑っている時間はすべてを忘れた
そんなときに出会ったのが「お笑い」だった。たまたまお風呂上がりに見た『笑う犬の冒険』だった。ウッチャンナンチャンやネプチューンなどが出演していた、当時の人気番組だ。
そこで繰り広げられるコントを見て、彼は笑った。
「生きることはつらいことでしかなかったのに、笑っている時間はすべてを忘れていました。あのときお笑いに出会っていなかったら、今、僕はここにいないでしょうね」

録画したビデオを見ながら、コントを完コピしたこともある。クラスの友だちを誘って練習し、休み時間に披露したことも。女の子たちが笑ってくれた。それがうれしかったと彼は言う。自分にも何かできるかもしれないと思えた。
TV番組の企画でお笑い芸人が家にやってきた
自分もお笑いの仕事をしてみたい。彼の心の中で夢がふくらんでいった。そして高校1年生の夏、奇跡が起こった。
当時、テレビ東京で放送されてきた『田舎に泊まろう!』という場組で、お笑いコンビ「レギュラー」の松本康太氏がほしのさんの家に泊まったのだ。この日、彼は芸人になる覚悟を決めた。
母に芸人になりたいと真剣に伝えた。
「母は、やりたいことをやりなさいと言ってくれたんです」

芸人になると目標が決まれば、あとは努力を重ねるしかない。 高校を卒業して単身上京。NSC(吉本総合芸能学院)15期生となり、相方を得てコンビを組むが解散。
吉本も退所して、新たにマセキ芸能社のタレントゼミナールに入り、2014年に、あいなぷぅとともに「パーパー」を結成、’17年にはキングオブコントの決勝にも進んでいる。仕事での“苦労”も、本にはさりげなくちりばめられている。
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コロナ禍で仕事が激減、Youtubeで歌ったらメジャーデビュー
もともと歌が大好きだったほしのさん、昨年は歌でメジャーデビューも成し遂げた。
「コロナでお笑いの仕事が激減したんです。そんなときYouTubeで歌っていたら声をかけていただいて。去年は真剣に歌に取り組みました」
女声と同じキーで歌うほしのさんの歌にはインパクトがある。声にいくぶんの憂いが含まれているところが人の心を癒やすのかもしれない。
息子の出るお笑い番組を欠かさずチェックしていた父
父には、芸人になる話ができないまま上京した。父の再婚のお相手には話したのだが、「応援してる。困ったことがあったらいつでも連絡して」と笑顔で送り出してくれたという。

21歳のとき父がくも膜下出血で倒れた。危篤状態の父に「東京から来たよ」と声をかけた。父は亡くなったが、のちに、息子が芸人になるために上京したことは把握しており、お笑い番組を欠かさずチェックしていたと知らされた。
「そんなにすぐにテレビに出られるようになるわけないのに……。でも家族ってありがたいなと思います」
これからは家族孝行をしたいとほしのさんは言う。
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信じて努力して耐え続けた先に、きっと何かがある
「仕事では、去年、歌に力を入れすぎたので、今年はお笑いもがんばりたい。ライブもやりたいですね」
やりたいことがどんどん広がっていく。コツコツやってきたことが一気に花開いているところだ。

ほしのさんは、もともとまじめなタイプ。車も人もいない小さな交差点でも信号は絶対に守るし、人が見ていなくても、自分の良心を鍛えていれば、きっといつか報われると信じていた。
経験上、自分を動かすきっかけは自分で見つけるしかないと考えている。
「夢は叶うなんて簡単には言えないけど、諦めないことは大事だと思うんです。信じて努力して耐え続けた先に、きっと何かがある。僕自身はそう考えてやったきたような気がします。“いずれは日本武道館でライブ”を目指して、これからもがんばっていきます」
最後はとびきりの笑顔になった。

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<文/亀山早苗>
亀山早苗
フリーライター。著書に『くまモン力ー人を惹きつける愛と魅力の秘密』がある。男女関係、特に不倫について20年以上取材を続け、『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』など著書多数。Twitter:@viofatalevio
(エディタ(Editor):dutyadmin)

