「雨にも風にも負けず、週4日バイク通勤です」。表紙をめくると、バイクに乗った凛々しい女性の写真。天気は悪そうですが、笑顔は快晴そのもの。この方こそ、熊谷恵美子さん。『81歳の家電売り場店員。接客は天職です』(KADOKAWA)の著者です。
2020年、家電専門店のノジマでは「雇用延長上限が80歳」と決められました。69歳からパート勤務してきた熊谷さんは、2021年に80歳になり、延長上限を迎えます。ところがノジマの店長は、「自分でやれると思ったら続けていいんですよ」と背中を押してくれるではありませんか。
ノジマの社長も「ご本人が元気で生き生きと働けるなら、何歳まででも働いてもらったらいいんじゃない」とこれまた勤務続行を勧めるご意見。こうして熊谷さんは、「ノジマの80歳以上雇用継続者第1号」となり、雑誌やテレビで取り上げられることになったのです。
80年の人生経験で培ったもの
44歳から59歳まで、呉服店に勤務していた熊谷さん。バブル期を過ぎて呉服店が閉店し、家電量販店のラオックスに転職しました。呉服から家電へ、扱う商品はまるで違います。でも熊谷さんは、「自分の家でも家電を使っているんだから大丈夫だと思います」と前向きに捉えました。やがて2008年にリーマンショックが起こり、ラオックスはお店を閉めることに。

同じ場所に家電専門店のノジマが入り、すでに69歳になっていた熊谷さんも、ためらいつつノジマで仕事をする決心をします。とはいえ、仕事だけに邁進するわけにもいきません。孫の面倒や、認知症になった夫の介護、多忙を極めたであろう熊谷さんですが、仕事があったからこそ公私のバランスが取れたようです。かかりつけ医も、「介護だけをしていたら自分が疲れ切ってしまうから、まわりの力を借りて仕事を続けていたほうがいいですよ」と声をかけてくれたそうです。
家電専門店に限らず、何らかの専門店で質問したい時、人は自然と同世代の店員を探してしまうのではないでしょうか。超高齢化社会の現在、今後ますます顧客の高齢化は進みます。それに伴い、顧客の気持ちを理解し、寄り添えるのは、同じ高齢者の働き手です。長年の接客経験に加えて、子育て、そして介護と、熊谷さんの人生がそのままノジマの仕事に生かされているのです。
朝からフル稼働、熊谷さんの1日
勤務は週4日で、9時30分から15時まで。通勤はバイクで15分~20分。朝からアクティブですが、出社後はさらにパワフルです。

朝一に品出しをしますが、扱っているのは家電。重い、大きい、かさばる……、さまざま難点があります。腰を屈めたり、手を伸ばしたり、全身を使って陳列しなければならず、つい「疲れた」「休みたい」なんてつぶやいてしまいそう。しかしここでも熊谷さんの前向き思考が炸裂。「スポーツクラブへ行って全身運動をしていると思えば、いいのではないでしょうか」。なるほど、お給料をいただきながら健康管理もできるとあっては、率先してやり遂げるぞ、と気合も入りますね。
「人を喜ばせるのが好き」熊谷さんの接客
買い手、特に家電に詳しくない高齢者にとって、「無理に買わされるのではないか」「高額商品を勧められるのではないか」といった不安はつきものでしょう。専門知識が必要でしかも様変わりが早いといったら、スマートフォンやパソコン。熊谷さんも「詳しい機能について説明できる知識はない」と言います。必要とあらば、若いスタッフの助けを借り、お客様にご迷惑をかけないようにする、お客様ファーストを心がけています。

同世代や高齢の方の質問や疑問は、熊谷さんにとっても身近なもの。なかには買い替える必要はなく、使用方法を変える、あるいはお客様が使用方法を勘違いされている場合もあります。そういう方には懇切丁寧に説明し、アドバイスするのが熊谷さん流。直接の売り上げにはなりませんが、感謝につながり、やがて再訪してくださいます。
わからないこと、苦手分野は若いスタッフに頼る。その代わり、若いスタッフが苦手な包装や細かい作業は引き受ける。頑なにならず、素直にコミュニケーションする熊谷さん。お客様だけではなく、働く仲間にも「ありがとう」の思いが広がり、良い環境になっていくのではないではないでしょうか。
目標は「生涯現役」
勤務中、家電の品出しは必須です。力仕事ですから、足腰に負担がかかるのは当然のこと。熊谷さんの目標は、「生涯現役」。体のメンテナンスは怠りません。帰宅後は「シックスパッドフットフィット」でふくらはぎの筋肉をほぐし、マッサージ機で全身をケア。野菜中心のお食事に、脳トレにも励みます。家事も頑張りすぎず、家電を活用してうまく手を抜くのです。食洗器にコードレスクリーナー、便利なのは実証済みです。

元気で溌溂(はつらつ)とした印象の熊谷さんですが、年齢を重ねるごとに、ままならない出来事もあったそうです。物覚えが悪くなってきた、集中力がなくなってきた、等々。誰にでも平等にやってくる、老い。そこで立ち止まってしまっては、ますます心身が弱ってしまいますよね。
「生きることは、続けること」。本書のタイトルにもなっている「接客は天職です」の言葉は、今まで接客を続けてきたからこそ、胸を張って断言できるのでしょう。生きることは、毎日の積み重ね。昨日できたことを、今日もやってみる。日々の積み重ねが、やがてかけがえのない人生になっていきます。「生涯現役」でいるために、今日も笑顔で接客する熊谷さん。私も見習いたい!と切に思うのです。
<文/森美樹>
森美樹
1970年生まれ。少女小説を7冊刊行したのち休筆。2013年、「朝凪」(改題「まばたきがスイッチ」)で第12回「R-18文学賞」読者賞受賞。同作を含む『主婦病』(新潮社)、『母親病』(新潮社)、『神様たち』(光文社)を上梓。Twitter:@morimikixxx
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