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妻を数カ月無視した夫…離婚裁判で驚きのホンネが。深すぎる“日本のジェンダー問題”が

時刻(time):2023-04-24 08:18源泉(Origin):δ֪ 著者(author):kangli
性教育が遅れている、といわれて久しい日本。近年はようやく変化の兆しが見えてきました。学校教育に問題は多くとも、幼少期からの性教育が大事という考えは社会にだいぶ浸透してきたと感じます。子ども向けの性教育コンテンツや、親子で読める書籍も多数出版され、ちょっとしたブームの様相を呈しています。 写真はイメージです(以下同じ) そんな子ども向けの

性教育が遅れている、といわれて久しい日本。近年はようやく変化の兆しが見えてきました。学校教育に問題は多くとも、幼少期からの性教育が大事という考えは社会にだいぶ浸透してきたと感じます。子ども向けの性教育コンテンツや、親子で読める書籍も多数出版され、ちょっとしたブームの様相を呈しています。

握手 男女 夫婦 パートナーシップ

写真はイメージです(以下同じ)

そんな子ども向けのコンテンツを見て、「自分ももっと早くに知っておきたかった……」と思った大人は多いはず。性について知らないがゆえにつまずいた経験を振り返ってみてください。そのなかには、性について知ってさえいれば回避できたかもしれないつまずきもあったのではないでしょうか。

性とは人間関係を築く土台となるもの。40歳を過ぎても、50歳を過ぎてもそれぞれのライフステージで、私たちは人と関わります。人生100年時代、いまから性を学んでも遅くありません。たとえば「パートナーシップ」について。

弁護士の太田啓子さんは離婚事案を多く担当していると日本のパートナーシップ問題点、ひいてはジェンダーの問題が浮かび上がって来ると言います。特に注目すべきは、ケアを誰がどのように行っているか、です。

(以下、『50歳からの性教育』第5講「パートナーシップ~相手への尊重と傾聴~」より本文を抜粋、一部編集を加えたものです)







ケア「する側」と「される側」


ケアとは、ただ料理をする、洗濯をする、赤ちゃんのお世話をするということにとどまらず、その前段階にある「相手が何を求めているのかというニーズを汲み取る」というステップも含まれます。それを先回りして汲み取り、提供することが家事や育児なのです。

相手の、いまだ言語化されていないニーズを読み取るというのは女性が幼いころから求められがちな役割で、「気遣い」と言われるものも、それに当たります。気遣い自体は何も悪いものではありません。しかし、パートナー間で気遣いを「する側」と「される側」がいつも固定していたり、一方だけが「気遣い」することが当然視されることは、悪いことだと思います。






女性は「気が利く」ことを求められる


もともと女性にはそうした「気遣い」ができる性質が備わっているとか、得意だとかいうわけではありません。それができれば賞賛され、できなければ「気が利かない」などと言われる社会に適応するため、獲得されたものです。

男性は、一般的に気を遣われる側として成長します。だから離婚調停のプロセスで離婚を申し入れられた夫たちの話を聞くと、自分が「ケアされる」側であることを当然として疑問を持っていないのだと感じることが多々あります。それが暴力的な形で現れた例を、ひとつ紹介します。







離婚 破局
離婚を決意して私のもとを訪れたその女性は、夫から数カ月にわたって無視されていると言いました。夫は子どもとは会話をしますし、毎日妻が作ったご飯を食べ、妻が洗濯した衣類や下着を身に着けて仕事に出るのですが、妻からどのように声をかけられてもいっさい応答しないという日々が続きました。そこに妻が存在しないかのように目を合わせようともしないどころか、家のなかですれ違うときは露骨に避けるそうです。








離婚を決意した妻が知った真相


妻は夫に「どうして無視するの? 私が何か悪いことをした?」と何度も聞きましたが、夫は聞こえていないかのように頑として答えない……あのことが夫を不機嫌にさせたのだろうか、それともこのことだろうかと悩み、何度も夫に聞き、やはり無視されるうちに妻は、無視され続けることのあまりの精神的苦痛の大きさから、周囲から重篤な病気なのではないかと心配されるレベルで瘦せてしまったほどでした。

耐えきれず妻は離婚を決意し、最終的には裁判となりました。そこでようやく夫の「自分が機嫌を損ねた理由に、妻には自力でたどり着いてほしかった」という本音が明らかになったのでした。自分から言うのでは意味がない。妻がこちらの胸中を慮り、察し、理解する。そのことに意味があったのだ、と。






「妻が立ててくれない」


この夫が極端な性格なのだと思われるかもしれませんが、離婚裁判を扱っている弁護士なら、程度の差はあれ「よく聞く話」だと感じると思います。

妻側の代理人として夫から話を聞くこともあるのですが、「自分こそ、妻から愛されていない」「妻は自分に冷たい」というフレーズは、定番中の定番です。自分は妻を愛しているのに、妻はそうではない。だから自分が離婚を突きつけられるのは不当である、と本気で思っているのがわかります。

私から「どういうときに愛されていないと感じるんですか?」と問うと、「ここのところ、まったく立ててくれなくなった」と返ってきます。






彼らが言う「立てる」とは、辞書で「人を自分より上位に置いて尊重する」と説明されているものです。これも、ケアの一種です。尊重され、気遣われ、お世話されるのは当然だと思っていれば、妻が自分を「ケアしてくれない」ということを、自分の「被害」であると感じるのでしょう。

話を聞いていると、まるで赤ちゃんだと感じることもあります。まだ言葉を話せない幼い子が泣いていると、周りの大人が「ミルクかな? 抱っこかな? 眠いのかな?」と考えながら対応します。それでも泣いている理由がわからないことも多いのですが、なんとかしてそのニーズを汲み、満たしてあげようと努めます。








「自分のことは自分で」だけでなく


赤ちゃんならそれが当然の要求ですが、それを成人が自分の当然の権利であるかのように要求し、満たされないことで不機嫌になったり「自分は被害者だ」と傷ついたりしているのです。


家庭のなかで自分が「ケアをする主体である」という男性は、年代が上になるほど、女性に比べ圧倒的に少ないと感じます。

若い世代も、油断できないと思います。いまどきは男の子も「自分のことは自分でできるように」と教わりますし、大人になればひとり暮らしをする人もいます。多くの男性が、およそ家事ができないというわけではない。それなのに、家族のほかのメンバーのケアをするという発想にはつながらない傾向にあるのは圧倒的に男性が多いです。





自分で朝食を作るけど…


たとえば自分の朝ごはんだけ自分で作り、子どもの朝ごはんは気にせず出かけてしまう夫、のような話を離婚事案では聞きます。自分のことを自分でできるという「自立」と「他者へのケア」は別ものなのだと感じさせられます。

自立さえできればいいというわけではなく、ケアが必要な存在へのケアを主体的にやるという意識を、性別問わず(特にいまあまりそう言われない男の子に)持たせないといけないと思います。

<構成/三浦ゆえ>
編集者&ライター。出版社勤務を経て、独立。女性の性と生をテーマに取材、執筆を行うほか、『女医が教える本当に気持ちのいいセックス』(宋美玄著、ブックマン社)シリーズをはじめ、『50歳からの性教育』(村瀬幸浩ら著、河出書房新社)、『リエゾン-こどものこころ診療所- 凸凹のためのおとなのこころがまえ』(三木崇弘著、講談社)、『新生児科医・小児科医ふらいと先生の 子育て「これってほんと?」答えます』(西東社)などの編集協力を担当。著書に『となりのセックス』(主婦の友社)、『セックスペディアー平成女子性欲事典ー』(文藝春秋)がある。



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