「自分をどうしても男性としか思えない」が勘違いではない、と自身で認められるようになったのは、ここ数年のこと。そのとき私はすでに結婚し、夫の両親と暮らしていた。
性別に違和があることを義母にはとてもじゃないけど打ち明けられず、同居に限界を感じて家を出た。家探し、職探し……どこにでも性別の壁は立ちはだかる。

写真はイメージです(以下同じ)
【中編を読む】⇒結婚後にトランスジェンダーだと気付いた苦悩。女性から男性へ移行する治療を始めたら義母が
やっとの想いで、かねてから切望していた男性ホルモン投与をはじめ、見た目や声が男性化していった。転職、義母の他界を経て、現在は義実家に戻り夫とその父と暮らしている。
いまのところ、戸籍を変更するつもりはない。現在の日本では、戸籍の性別を変更するには厳しい要件をクリアしなければならない。
トイレ利用の実情を知ってほしい
やっとの想いで、かねてから切望していた男性ホルモン投与をはじめ、見た目や声が男性化していった。けれどいまのところ、戸籍を変更するつもりはない。現在の日本では、戸籍の性別を変更するには厳しい要件をクリアしなければならない。
しかしーー社会でどう生きていくのかを突き詰めていくと、戸籍変更は視野に入ることがある。
男性になれば、履歴書や身分証明で引っかかることもないし、初対面の相手に「セクシャルマイノリティとは」「私のアイデンティティとは」と解説をしなくて済む。最初からずっと男性だった顔ができたら楽かな、とは思う。
家族以外でも、毎日顔を合わせている人は意外と変化に気づかないものだ。だから、ホルモン治療をする前の人が多い職場では女子トイレを、まったく知らない人ばかりの場では男子トイレを使う。それでも、人がいない時間帯を狙ったり人の気配がいなくなるまで個室で待ったり、周りの人が困惑しないように気をつけている。
差別的な発言の、その後に
俳優の橋本愛さんが先ごろ、自身のInstagramのストーリーで「体の性に合わせて区分する方がベターかなと思っています」と投稿し、炎上した。後日、「今私が約束することは、今後必ずアップデートし続け、学び続け、そして行動し続けるということです」と真摯な謝罪投稿がされた。

炎上した投稿も、その後の謝罪投稿も、なんて丁寧で誠実な人なのだろうと感じた。単に身近に当事者がいないのだろう。橋本さんの発言は差別的ではあるだろうが、思いやりがないとは決して思えない。こういう人のためにこそ、実情を知る機会を作りたいと切に思う。
……なんて思っていたら、橋本さんは「悪意なき差別をしないためには、LGBTQ+の方々の経験を、声を聞く必要がある。(週刊文春4月6日号「私の読書日記」より)」と表明されていた。本当に聡明な方なのだと感銘を覚えるとともに「以心伝心じゃん」と、勝手に浮かれてしまった(妄想です、すみません)。
もちろん、私はまだホルモン治療をはじめて日が浅く、メリットデメリットを客観的に評価できる段階ではない。それでも、女性と誤解されないだけでこんなにも生きやすくなるとは思いもしなかった。
ピンクを買ったら女って思われるかなと心配しなくていい。髪を伸ばすと女に見えるからと似合わない短髪にこだわらないで済む。女性が選ぶ職だからと避けていた職種や資格も、いまなら自由に選ぶことができるかもしれない。
トランスジェンダーと妊娠、出産
そして、今なら、パートナーとの間に、子どもを持つ選択肢も、選べるかもしれないーー。矛盾している、と思われるだろうか。
自分を女性と思っていないので、母になりたいとは思わない。ただ、パートナーの子どもを、パートナーとともに育てたいとは思う。夫の子どもを見るためには、私が「母」として夫の子を身ごもるしかないからだ。私の体にはまだ子宮と卵巣があり、男性ホルモンをやめれば子どもを産める可能性はまだある(年齢的にかなり厳しいのだが)。
もちろん、子どもを持つというのは、セクシャルマイノリティの問題以前にとても大変なことだ。男性ホルモンを入れているうえに子どもがほしいなんて、親のエゴと言われることだろう。
りゅうちぇるバッシングの意味
実際、「父」と思われることから逃れるために離婚を選んだりゅうちぇるさんへの、たくさんのバッシングを目にした。子を持つうえで、親の性別はいまだに強固なのだ、と身につまされる。
男性器を持って生まれた人なら「父」として、女性器を持って生まれてきた人なら「母」という形でいないと、愛したことにならないのだろうか。そうであれば、私は子どもを授かるどころか、愛する権利もない。
性別なんて、問題がない人にとってはまったく気にもならないものだろう。しかし問題を抱えた人にとって、性別はあらゆる場面で障壁となる。それを是正するために、法整備は必要だろう。
トランスジェンダー差別が激化する今
ネット上の一部で議論となっている、トランス女性と女風呂の問題は、非トランスジェンダーの人がトランスジェンダーのフリをするという、当事者不在の議論ではないだろうか。風呂の覗きは、性的マイノリティの問題ではなく、性犯罪・性暴力の文脈でぜひ熱く議論すべきだ。
性的マイノリティが覗きという犯罪者の隠れ蓑になることも、差別そのものだろう。むしろ、トランス女性は、元男性を理由に排除される一方、女性性を理由に被害にさらされることも少なくない。
それでなくとも、性別が一致しないというのは、風呂場以外にもたくさんの場面で様々な不都合がある。家探し然り、職探し然り。
少数者への差別解消がもたらすもの
駅のエレベーターやスロープ設置など「バリアフリー」に似ている気がする。2006年、障害者や高齢者の移動の円滑化を促進するための法律として、いわゆる「バリアフリー新法」が制定され、スロープや駅のホームドアの設置など、少しずつ整備が進んでいる。

当初は車椅子を利用するなど障害のある人の権利のためにはじまったはずだが、いまや酔っ払いの転落防止になって、多くの人も恩恵を授かっている。私は正直、障害者の権利から始まっていたこと自体忘れていた。
少数者への差別解消は、多くの人の利益につながる。セクシャルマイノリティも同じではないだろうか。少数者の排除ではない、建設的な議論を願わずにいられない。
【佐倉イオリ】
1983年生まれ。幼稚園の頃には「女じゃない」という自覚がありがならも男性が恋愛対象だったことや「他の女の人も皆我慢しているのだろう」と考えたため、女性らしくなろうと試行錯誤。「女性らしくなりたい」「男性に見られたい」と揺らぎながら30歳で男性と結婚。30歳を過ぎてその葛藤が「普遍的な女性の悩み」ではないと気づき始めた。宣伝会議の「編集・ライター養成講座」41期生として執筆した卒業制作で、最優秀賞を獲得 twitter:@sakura_iori3
<文/佐倉イオリ>
(エディタ(Editor):dutyadmin)