コミックエッセイ『母が「女」とわかったら、虐待連鎖ようやく抜けた』には作者のあらいぴろよさんの実体験が描かれています。
幼い頃から父親から虐待を受けて育ったあらいさんは、「母は子どもを守るために犠牲になってくれている」と思っていました。しかし、それならなぜ母は一度父と離婚したのに、再婚して子どもたちを父の元に連れ帰ったのか。
虐待のフラッシュバックと戦いながら子育てをするうちに、母の行動に対してさまざまな疑問が浮かび、あらいさんは過去と対峙するようになります。
本記事では2話を紹介。後半では、母が女であり、娘のあらいさんのことを女としてライバル視していたことに気づいたきっかけや、あらいさんの2人の兄とのエピソードなどを聞きました。
【前編はこちら】⇒「虐待を受けた記憶がよみがえるのは、我が子に優しくしているとき」“連鎖”を断ち切れたワケを作者に聞いた<漫画>
【先に読む】⇒あらいぴろよさんのインタビューはコチラ

母の「毒」に気づいたきっかけ
ーーあらいさんの中で、お母さんに対する違和感が大きくなったきっかけは何だったのでしょうか?
あらいぴろよさん(以下、あらい):自分が子育てをする中で「お母さんはなぜあのときこうだったんだろう」と違和感が大きくなり、本書に描いたとおり、父の四十九日の席で母と話したことで決定的になりました。
でもそれで母に対してどうすればいいのか結論が出せなくて、とりあえず距離を取ることにしたんです。そこで答えを出さなかったことが、母から「毒」を引き継いだ状態を長引かせてしまったのだと思います。
ーーお母さんから引き継いだ「毒」とはどんなものなのでしょうか?
あらい:母と同じように「かわいそうな私」をアピールして、子どもに対して「こんなにしてあげているのに」と逆恨みしたり、現実逃避する状態です。
母は「可哀想な演技」のエキスパートで、私はそれを見てコントロールされてきました。例えば「離婚しないのはあなたたちのためよ」といった罪悪感を煽る言葉がいかに強力なものか私は知っているんです。
子どもの頃は「私たちのために犠牲になったのだから母は悪くない」と思って、母が包丁を持って暴れたり暴言を吐くことがあっても「いつか本当の母に戻ってくれる」と希望を持ってしまっていました。でも今は母はすごくしたたかで、子どもをコントロールするのが上手だったんだなと思います。
私もそんな母から「私はこんなに可哀想なんだから仕方ないじゃない」と言い訳することを学んでしまったことでラクをしていたと思います。それを手放して本当の意味で母と決別することは、すぐにはできませんでした。でも今は、「絶対に子どもには同じことをしないでおこう」と思っています。
ーーお母さんがときどき暴言や壁を殴るなどの暴力を子どもの頃のあらいさんに向けていた描写がありましたが、なぜだと思いますか?
あらい:母は自分自身のためにしていた選択を「私は子どものためにしているんだ」「これが愛なんだ」と私たちに責任を押し付けていました。根本に「子どもたちのせいで」という思いがあったから、私たちに当たっていたのだと思います。母は母ではなく「女」だったので、父親が興味を示している私を敵視し、余計当たりが強かったのだと思います。
ーー片方の親が暴力をふるったり、お酒を飲んで暴れたりと、明らかによくない行動をとる親である場合、もう片方の親を「母だけは(父だけは)まともで、私を愛してくれる」ということが子どもの心の支えになると思います。それが違うと分かったことは、かなりツラかったのでは無いでしょうか。
あらい:母に愛情をかけてもらったと思うことが心のより所になっていたので、ひどくツラかったし「やってられない」という気持ちになりました。
子どもに罪悪感を持たせるくらいなら本当のことを言ってほしかったです。「お金がないけど自分で働きたくない」「お父さんはあんな人だけど、私は好き」と本音を言われたら、たしかに傷付くと思いますが、軽蔑できて、こんなに長くドロドロした思いを引きずることはなかったのでは、と思います。
支え合ってきた2人の兄の存在
ーー本書では、あらいさんが2人のお兄さんと支え合っている様子が印象的でした。しかし同じ兄妹でも親に対する捉え方が違いはあるのでしょうか?
あらい:私たち兄妹にとって、父は分かりやすい「悪」なんです。でも母の「毒」は分かりづらいものでした。私は母と同じ女なので、母と同じライフステージを歩むうちに「母にとって一番大切な存在は父だった」と理解することができました。
そこに立たなければわからないものがあると思います。でも兄たちが「自分は同じことをしないようにしよう」と警戒しているのは、父がしてきたことだけなんです。その意味では「危ういな」と感じることがありました。
ーー2番目のお兄さんが、「お母さんはすごかった!それに比べてうちの嫁は……」と比べている描写が気になりました。
あらい:実際に2番目の兄は、結婚したばかりの頃は母と奥さんを比べてモラハラっぽい発言をしていたんです。でも奥さんがすごくしっかりした方で「どうしてそういうことを言うの?」と辛抱強く問いかけてくれて、兄は自分を振り返ることができたそうです。「そう言われれば確かに変だな」と考え直したのだと思います。
それに、子どもが生まれて奥さんの実家に行く機会が増えたことで、他の家族を見ていろいろと学ぶことがあったようです。私は兄の奥さん2人と「嫁同盟」を組んでいて、「兄たちが変だと思ったら教えてね」と様子をみていた時期もありましたが、今は2人とも落ち着いていると思います。
母に植えつけられた「罪悪感」
ーー大人になっても兄妹助け合える関係が素晴らしいと思いました。3人の絆が途切れなかったのはなぜだと思いますか?
あらい:「私たちが母を助けなければ」という共通意識があったからだと思います。それが大人になっても続いていたのが、結果的にいい方向に働きました。
「母はあんな思いをしても子どもたちを手放さないでいてくれた」という罪悪感があったので、私たちが非行に走ったら母が悲しむし、「母が父に責められてしまう」と思っていました。子どもの頃は兄妹で「絶対にグレたりしないでおこう」と結束して、お互いに「それは変だよ」と注意しあっていました。
ーー虐待されて育つと、自分の親と同じような問題を抱えた人を好きになったり、家庭生活がうまくいかないケースがあると思います。なぜ兄妹3人とも幸せな家庭を築くことができているのだと思いますか?
あらい:「母が自慢できる子になりたい」という思いが共通してあったので、酒癖の悪い人やギャンブル好きな人、異性にだらしない人は絶対に配偶者に選ばないようにしていました。でも結婚前は想像できないこともあるので3人とも運が良かった部分はあると思います。
ーー現在はお兄さん2人はお母さんとの関係はどうなのでしょうか?
あらい:兄たちは母に対して「自分たちにできることは全部してあげたい」と思っているようです。私と母の仲をとりもとうとしてくることもあります。でも、父の愛人問題に兄妹で介入した後、母に「余計なことをした」と逆恨みされたのもあり、兄妹で「親とはいえ、よその夫婦の問題に立ち入り過ぎた」と反省しました。それからは、お互いに傷つかない距離感を模索しているように見えます。
<取材・文/都田ミツコ>
都田ミツコ
ライター、編集者。1982年生まれ。編集プロダクション勤務を経てフリーランスに。主に子育て、教育、女性のキャリア、などをテーマに企業や専門家、著名人インタビューを行う。「日経xwoman」「女子SPA!」「東洋経済オンライン」などで執筆。
(エディタ(Editor):dutyadmin)













