日本テレビの報道番組「news zero」に、日本初のトランスジェンダーのニュースコメンテーターとして出演していた谷生俊美さん。

現在は、映画プロデューサーとして働くかたわら、プライベートでは女性パートナーと出会い、結婚。現在は一児の「パパだけど、“ママ”」として、4歳になる娘・ももちゃんとの3人家族です。
谷生さんの著書『パパだけど、ママになりました 女性として生きることを決めた「パパ」が、「ママ」として贈る最愛のわが子への手紙』(アスコム)は、自身の半生を振り返りながら、娘への「手紙」としてメッセージが綴られています。
今回は、女性として生きることへの決意や手紙に込められた想いについて聞きました。
――この本を娘さんに贈ろうと考えた理由を教えてください。
娘にだんだんと物心がつき、世の中の仕組みがわかってくる中で、家族のあり方が人とは違うと感じ始める時期が来ると思います。そんなとき、どのようにして私が生涯のパートナー「かーちゃん」と出会い、パパだけど「ママ」になる人生を選んだのか。娘のももにその過程をしっかり伝えるのは、意味のあることだと考えているからです。
特派員として5年間中東で過ごし、テロや紛争の取材をする中で、人はいつ死ぬかわからないと感じるようになりました。紛争などが多く起きる中東だからそう感じていたのかもしれません。
でも帰国後には報道局の非常に親しかった仲間が2人亡くなる経験もしています。そして日本に帰って1年足らずが経過した2011年、東日本大震災が起こりました。それで思ったんです。結局、我々はいつどこで死ぬかはわからないんだ、と。
だから「伝えたいことを伝えられる時にちゃんと伝える」は、私の人生のモットーでもあります。たとえ私が今死んでも、この手紙を通して娘がたくさんの愛に包まれて生まれてきて、愛情いっぱいに育てられたことを感じてほしいのです。
――娘さんへの手紙を世に出そうと考えた理由はありますか?
この本は個人的な動機から生まれましたが、これを手に取った人にとって、新たな発見や励みになればいいなと思っています。私はトランスジェンダーという属性を持っていますが、この本はLGBTQをテーマにした内容だけに特化したものではなく「私」という人間について書かれたものです。
ライフスタイルやキャリア、パートナーとの出会いなど、いろいろな要素を詰め込んだので、幅広い層の人たちに読んでいただければ嬉しいです。

――セクシュアルマイノリティの人たちにも励みにもなるのではないでしょうか。
2018年10月に顔と名前を晒してトランスジェンダーであることをカミングアウトし、『news zero』に出演したとき、世の中に発信するという覚悟を持ちました。本の出版はその延長線上にあると思っています。
私のような人間がいることが可視化されることで、不安や生きづらさを抱えている人たちの励みになるかもしれないし、ロールモデルになれるかもしれない。あるいは「こういう人もいるんだ」といった新たな発見になるかもしれません。
また、マイノリティ性のある人たちはトランスジェンダーだけでなく、現状の社会構造では女性も当てはまります。なので、セクシャルマイノリティーの人たちはもちろん、それ以外のさまざまなマイノリティといわれる人たちにとっても、ポジティブなきっかけを与えられればという思いも込めています。
――娘さんとの会話や生活の中で、本を出そうと決めた瞬間はありましたか?
当時1歳だった娘を公園に連れて行き、そこにいたお友達と楽しく遊んでいた中でこんな出来事がありました。4歳くらいの女の子が私のことをじーっと見て、「女の子? 男の子?」と聞いたのです。ピュアな気持ちの中から出てきたこの疑問は、私にとってずっしりくるものでしたが、なんとか「女の子だよ」と返事しました。
あの子が私に投げかけた問いは、私がずっと受け入れていかざるを得ないことだろうし、いろいろ外科的な手術などを受けたら女性として“パスする”(※編集部注:トランスジェンダーが自身の望む性別として社会から認識されること)ことが今よりも増える可能性はあるけど、それが難しいなら今後向き合わなければいけない。そう思ったんです。
娘にとって私はまず「親」という存在であり、その先の属性である性別はそれほど関係ないかもしれませんが、彼女が大きくなって「自分の家族は周りと違う」と思う日が来るのはほぼ確実かもしれません。なので、私がしっかり伝えなければならないと思いました。

現在は、映画プロデューサーとして働くかたわら、プライベートでは女性パートナーと出会い、結婚。現在は一児の「パパだけど、“ママ”」として、4歳になる娘・ももちゃんとの3人家族です。
谷生さんの著書『パパだけど、ママになりました 女性として生きることを決めた「パパ」が、「ママ」として贈る最愛のわが子への手紙』(アスコム)は、自身の半生を振り返りながら、娘への「手紙」としてメッセージが綴られています。
今回は、女性として生きることへの決意や手紙に込められた想いについて聞きました。
「人間はいつどこで死ぬかわからない」
――この本を娘さんに贈ろうと考えた理由を教えてください。
娘にだんだんと物心がつき、世の中の仕組みがわかってくる中で、家族のあり方が人とは違うと感じ始める時期が来ると思います。そんなとき、どのようにして私が生涯のパートナー「かーちゃん」と出会い、パパだけど「ママ」になる人生を選んだのか。娘のももにその過程をしっかり伝えるのは、意味のあることだと考えているからです。
特派員として5年間中東で過ごし、テロや紛争の取材をする中で、人はいつ死ぬかわからないと感じるようになりました。紛争などが多く起きる中東だからそう感じていたのかもしれません。
でも帰国後には報道局の非常に親しかった仲間が2人亡くなる経験もしています。そして日本に帰って1年足らずが経過した2011年、東日本大震災が起こりました。それで思ったんです。結局、我々はいつどこで死ぬかはわからないんだ、と。
だから「伝えたいことを伝えられる時にちゃんと伝える」は、私の人生のモットーでもあります。たとえ私が今死んでも、この手紙を通して娘がたくさんの愛に包まれて生まれてきて、愛情いっぱいに育てられたことを感じてほしいのです。
――娘さんへの手紙を世に出そうと考えた理由はありますか?
この本は個人的な動機から生まれましたが、これを手に取った人にとって、新たな発見や励みになればいいなと思っています。私はトランスジェンダーという属性を持っていますが、この本はLGBTQをテーマにした内容だけに特化したものではなく「私」という人間について書かれたものです。
ライフスタイルやキャリア、パートナーとの出会いなど、いろいろな要素を詰め込んだので、幅広い層の人たちに読んでいただければ嬉しいです。
公園で幼い女の子からされた問い

――セクシュアルマイノリティの人たちにも励みにもなるのではないでしょうか。
2018年10月に顔と名前を晒してトランスジェンダーであることをカミングアウトし、『news zero』に出演したとき、世の中に発信するという覚悟を持ちました。本の出版はその延長線上にあると思っています。
私のような人間がいることが可視化されることで、不安や生きづらさを抱えている人たちの励みになるかもしれないし、ロールモデルになれるかもしれない。あるいは「こういう人もいるんだ」といった新たな発見になるかもしれません。
また、マイノリティ性のある人たちはトランスジェンダーだけでなく、現状の社会構造では女性も当てはまります。なので、セクシャルマイノリティーの人たちはもちろん、それ以外のさまざまなマイノリティといわれる人たちにとっても、ポジティブなきっかけを与えられればという思いも込めています。
――娘さんとの会話や生活の中で、本を出そうと決めた瞬間はありましたか?
当時1歳だった娘を公園に連れて行き、そこにいたお友達と楽しく遊んでいた中でこんな出来事がありました。4歳くらいの女の子が私のことをじーっと見て、「女の子? 男の子?」と聞いたのです。ピュアな気持ちの中から出てきたこの疑問は、私にとってずっしりくるものでしたが、なんとか「女の子だよ」と返事しました。
あの子が私に投げかけた問いは、私がずっと受け入れていかざるを得ないことだろうし、いろいろ外科的な手術などを受けたら女性として“パスする”(※編集部注:トランスジェンダーが自身の望む性別として社会から認識されること)ことが今よりも増える可能性はあるけど、それが難しいなら今後向き合わなければいけない。そう思ったんです。
娘にとって私はまず「親」という存在であり、その先の属性である性別はそれほど関係ないかもしれませんが、彼女が大きくなって「自分の家族は周りと違う」と思う日が来るのはほぼ確実かもしれません。なので、私がしっかり伝えなければならないと思いました。
「私自身を包み隠さずに書くこと」を意識した
――その頃から「娘への手紙」として本を出すことを考えていましたか?
出版社さんとの最初の打ち合わせの時点で、タイトルや章立てはできていました。打ち合わせを重ねる中で、私の人生を振り返りながら娘に伝えたいことを書くなら、文字通り手紙形式にするのがいいのではないかという案が出て、それに決めました。
――セクシュアリティやパートナーとの出会いなど、自身について綴るうえで意識した点はありますか?
娘に対する手紙なので、私自身のことを包み隠さず率直に書くことを意識しました。セクシュアリティやジェンダーアイデンティティはグラデーションがあるので、あくまで私個人の人生を書くことに意味があると思っています。そういう意味では、LGBTQの文脈だけを強く意識したつもりはありません。
――本には、中東での生活や自身のセクシュアリティに悩んでいた頃の話など、さまざまな経験が綴られています。谷生さんの人生を振り返って、今でも覚えている出来事はありますか?
やはり第1章で書いた幼少期の出来事は今でも思い出します。小学生の頃にあった持ち物チェックの時、私のハンカチを見て隣の席の女の子が放った一言、担任の先生からいじめられたこと、高校の友達から「へんこ」と言われたことなど、本を書いていくうちに当時のエピソードがくっきりと浮かび上がってきました。
幼い自分に暴力を振るった父

――家族の話も書かれていました。
父親から解放されたいという気持ちは強かったです。幼い頃に暴力を受けたこともあり、父親には「負けたくない」と思っていました。結局、私が『news zero』に出ようが、本を出そうが、今の生き方を選んでいようが、受け入れられることはありません。
ですが、私がまだ許していない父親のつるつるの頭を娘がふざけて叩いたとき、父親の嬉しそうに娘を可愛がる姿を見て、幼き日の傷が一つずつ癒えていった気がします。許していないけど、「もういいかな……」と思えたんですよね。
――さまざまなつらい経験がありながらも、女性として生きる決意をし、『news zero』にも出演、現在は日テレの映画プロデューサーとして活躍されています。自身の道を切り開いていった勇気の源はどこにあったのでしょうか?
自分のことを笑った人や父親より成功したい、「ビッグになりたい」と思ったのです。『news zero』に出演したときは「こんな姿でニュース番組に出るべきではない」「チャンネル変えた」といった批判的な意見もありました。
ただ、全体の意見の7割はポジティブな内容で「見識が高い人だ」「立ち振る舞いが素敵」など、身に余るお言葉をいただきました。周りから肯定されることで自信につながりましたし、本当に嬉しかったです。
変化をもたらす人はみんな「へんこ」

――谷生さんの出演により、トランスジェンダーの可視化にもつながったのではないでしょうか?
放送のたびに、Twitter(現在はX)で私の名前がトレンドに上がるほど、話題になっていました。ただ、徐々に反応も鎮静化していったんです。つまり、何かを継続すると日常になり、世の中が当たり前に変わるということですよね。
例えば、“アメリカの大統領”という言葉を聞いて男性を想像しますよね。だけど一人、女性の大統領が出てくるだけで、世間の持つ認識は変わります。
なので、可視化するには継続が大切だと実感しました。さらにこういう経験を積み重ねることで、成功体験となり自信に変わる。私は「へんこ」と言われていたけど、考えてみれば世の中に変化をもたらす人はみんな「へんこ」なのだと思えました。Proud to be “変”(変であることは誇り)なんですよ。
――批判的な人たちの言葉を鵜呑みにする必要はないということですね。
全員に好かれる必要はありません。必ずどこかで自分のことを悪くいう人はいますが、なんとなく苦手意識を持つ人は誰にでもいるので、仕方ないのです。それより、今は自分らしく過ごす自分を評価してくれる人たちのことを大切にしたいなと思います。
――どんな人に本を読んでもらいたいですか?
すべての迷える人たちに読んでもらいたいです。正直、遅ればせながら45歳で映画プロデューサーになって、懸命に働いていても、日々仕事のことで迷っています。ほんと、プロデューサーって大変なんです……(笑)。大人になっても何が正解かわからないですし、幸せの処方箋はないのです。
人間みんな迷いながら行き先を決めて進むことが人生だと思います。この本を手に取った人が「パートナーほしいな」「海外行ってみようかな」「この映画見てみようかな」など、迷いながら生きていく人生の何かしらの灯火となれば嬉しいです。
<取材・文/Honoka Yamasaki 撮影/鈴木大喜>
Honoka Yamasaki
昼間はライターとしてあらゆる性や嗜好について取材。その傍ら、夜は新宿二丁目で踊るダンサーとして活動。
Instagram :@honoka_yamasaki
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(エディタ(Editor):dutyadmin)