V6やみのもんたによるバラエティ番組『学校へ行こう!』(TBS系・1997~2005年)で「チビあゆ」として大人気だった宮崎里央菜さん(@riiionna)。
番組内の街頭インタビュー企画で、渋谷の路上で声をかけられたのが始まりでした。当時まだ5歳だった彼女は、浜崎あゆみそっくりの流行ファッション&金髪姿であゆの曲を歌い踊り、一気に番組内の名物キャラに。
森田剛さんや番組内で活躍していた子ども達と一緒に『GOタリモ&ミニカレー』を結成しCDデビューを果たします。5~6歳にして、『うたばん』(TBS)や『ミュージックステーション』(テレビ朝日)などの人気音楽番組に出演しました。
現在、28歳になった宮崎里央菜さんに『学校へ行こう!』の思い出やV6との撮影裏エピソード、現在の活動について聞きました。
12歳年上の姉が浜崎あゆみの大ファンで…
――浜崎あゆみさんを好きになったきっかけは何だったのですか?
宮崎:12歳年上の姉が浜崎あゆみさんの大ファンだったんです。その影響で、家であゆの曲を真似るようになりました。
――当時、大阪に住んでいた宮崎さんが東京の路上で番組に声をかけられたのはなぜだったのでしょうか。
宮崎:私が歌とダンスが好きなことを知っていたのか、姉の旦那さんが新聞に載っていた芸能プロダクションの募集広告を見つけて勧めてくれたんです。応募したところ合格して所属することになったので大阪から東京に通うようになりました。
東京に行っていた時に渋谷であゆファッションで遊んでいたところ声をかけてもらいました。それをきっかけに番組で面白がってもらって、「ちび歌姫を探せ」というがコーナーができることになりました。チビ華原朋美、チビaiko、チビPUFFYとどんどん増えていって……。今思えば、運が良かったんだなと思います。
「親戚のお兄ちゃんと遊ぶ感覚でした」

――V6のメンバーの印象はどうでしたか?
宮崎:すごく優しくて良い人たちで、収録の合間にたくさん遊んでもらったり可愛がってもらいました。“親戚のお兄ちゃん”みたいな感じでしたね。私は人の膝に座らせてもらいに行くのが好きな子どもだったので、膝の上で手遊びをしてもらったり、一緒にお絵描きしたり、楽しい思い出ばかりです。
――なぜチビあゆファッションを始めたのですか?
宮崎:12歳年上の姉が浜崎あゆみさんが大好きで、その影響で私も小さい頃からあゆの真似をして歌ったりしていたんです。お姉ちゃんの着せ替え人形みたいな感じで、ファッションやメイクをしてもらっていました。「お姉ちゃんがいいと言うものは絶対可愛い」と思っていたし、可愛くしてもらえるのが嬉しかったです。
髪の毛は金髪に染めていました。当時は髪の毛が少ないほうだったので、お母さんは「子どもなのにそんなに金髪にして大丈夫?」と心配していたみたいです。それに構わず、お姉ちゃんが積極的にプロデュースしてくれていました(笑)。
チビあゆ時代の収入は

――当時、大変だったことはありますか?
宮崎:大阪に住んでいたので、撮影があるときはお母さんかお姉ちゃんと飛行機で東京に通っていました。V6のメンバーはすごく忙しかったので、普段なら寝ているような時間に収録することがありました。
早朝の収録では、まだ眠いのに起きなくてはいけないのが大変でしたね。長時間になる時は、途中で眠る時間を確保してもらいながら撮影していました。
――チビあゆ時代の収入はどうしていたのですか?
宮崎:母が私の通帳を作って貯めてくれていました。子どもの頃は分からなかったのですが、大人になってから母に聞いてみると「(出演料は)結構ちゃんともらえてたで」と言っていましたが、お父さんが結構使ってしまってたことも後々わかったり……(笑)。でも、私の学費などにも使ってくれたみたいです。
コロナ禍で中断した芸能活動

――その後はどんな活動をしているのですか?
宮崎:キッズモデルやドラマのお仕事を続けていました。高校卒業後はスクールオブミュージック専門学校という音楽の学校に通ったり、渡米してエンターテイメントの勉強をしたりして、本格的に歌手を目指していました。とあるきっかけで、3年前から本格的に筋トレを始め、今はパーソナルトレーナーとして指導側もしています。
――筋トレを始めたきっかけとは?
宮崎:歌手の仕事でなんとかやっていきたくて東京でオーディションを受けたり、ダンスや作詞などの活動を続けていたのですが、なかなかうまくいかない時期が続きました。先行きに不安を感じ、自信を無くしていた24歳くらいの時に、新型コロナウイルスが流行り始めてしまったんです。
気持ち的にも活動ができなくなって「これから自分の人生どうしたらいいんだろう」と悩みました。そんな時、近所に住んでいた友達が「余った時間でジムで体を鍛えよう!」と誘ってくれて一緒に通い始めました。
最初の頃はハードなトレーニングをすると「しんどいな」という気持ちが強かったのですが、筋肉がついて見た目が変わってくると「めっちゃ楽しいかも!」とすごくハマるようになりました。
筋トレを始め、食べ物ともうまく付き合えるように
――前向きに気持ちを切り替えられたんですね。
宮崎:トレーニングによって気持ちが救われました。筋トレは体だけではなくメンタルにも効くんだと思います。鍛えることでストレスを溜め込まず発散することができます。
――筋トレを始めて変化したことはありますか?
宮崎:最初の記憶がテレビ収録というくらい、ずっと人に見られる仕事をしてきたので「痩せないといけない」という気持ちが強く、食べ物とあまりうまく付き合えていない時期があったんです。
でも筋トレを始めてからは、しっかり食べてその分動いて、健康的なバランスを意識するようになりました。
軽い気持ちで始めた筋トレでしたが完全にハマってしまい、ボディビルの国内大会「FWJ Beef Sasaki Japan Classic」にも出場しました。初出場で30人中5位に入賞できたのは嬉しかったです!
『学校へ行こう!』が教えてくれたこと

――YouTubeチャンネル『Rionaちゃんねる。』でもトレーニングやダイエットの情報を発信していますが、これからやっていきたいことはありますか?
宮崎:トレーナーとして、以前の私のように苦しんでいる方の役に立ちたいです。ジムのお客様に「あなたに会うと元気をもらえる」と言っていただくことがあるのですが、私のほうこそ「元気をもらっているな」と思っています。トレーニングをするとハッピーな気持ちになれることを伝えながら、たくさんの人をサポートする存在になりたいです。

――今の宮崎さんに、『学校へ行こう!』に出演した経験はどんな影響を与えていますか?
宮崎:自分の可能性を引っ張り出してくれた経験だと思います。10代の頃は「『学校へ行こう!』に出てた子だよね」と言われるのがすごく嫌だったこともありました。
でもいろいろな経験をしたことで、「番組出演がなかったら今の自分はなかったな」と思っています。
私は人から「悩みがなさそうだね」と言われることが多いのですが、実際には細かいことを気にするし、頭で考えてばかりで行動に移すことがなかなかできない性格なんです。でも、番組に出演した経験があるからこそ、「もうダメかも」と感じる時でも、「子どもの時にあんなことができたんだから、頑張ったら多分もっとできるはず!」と踏ん張ることができます。
それはあの頃、たくさんの人に見てもらって応援してもらったおかげです。今の私にとっては本当に良い思い出になっています。
※この記事は女子SPA!とYahoo!ニュースによる共同連携企画です。
<取材・文/都田ミツコ 撮影/中川菜美>
都田ミツコ
ライター、編集者。1982年生まれ。編集プロダクション勤務を経てフリーランスに。主に子育て、教育、女性のキャリア、などをテーマに企業や専門家、著名人インタビューを行う。「日経xwoman」「女子SPA!」「東洋経済オンライン」などで執筆。
(エディタ(Editor):dutyadmin)



