―連載「沼の話を聞いてみた」―
「“無痛”分娩で失うものを問うー赤ちゃん、ママ、社会の視点からー」ーー10月に開催された日本助産学会のシンポジウムで、こんなテーマの講演が配信されたという。すると宣伝ポスターらしきものを引用する形で、X(旧Twitter)から反感の声が多数上がった。
筆者はこの講演を聞いていないのであくまで想像の前提で恐縮だが、専門家が集うシンポジウムにもかかわらず無痛分娩に伴う麻酔のリスク云々というより、「お産は自然であるのが望ましい」という価値観の話かなと思った。「失うもの」とあるので、無痛分娩のネガディブな面が少なからずとも取り上げられたのだろう。
シンポジウムでこんな話が出たかどうかはわからないが、巷では「自然なお産」の文脈で、無痛分娩や帝王切開を否定する、次のような根拠なき言説が存在する(もはや都市伝説レベルの話だ)。
「陣痛を体験して痛い思いをしないと、親になれない」
「無痛分娩でラクをすると母子の絆が希薄になり、後でツケがくる」
「帝王切開で生まれた赤ちゃんは体が弱い。何かしらのリスクがある」
「無痛分娩で生まれた赤ちゃんは自閉症・発達障害になりやすい」
「無痛分娩で生まれた赤ちゃんは不機嫌なことが多い」
自然なお産をした著名人の影響も
そうした界隈では、帝王切開や無痛分娩は「他力本願」と貶められがちなのも、ひどい話だと思う。
障害を持つ子の母である田原真由子さん(仮名、40代)も、帝王切開で出産したことを引き合いに「“自然じゃない”方法で生むからだ」と心無い言葉を投げつけられた。
「自然なお産」は、産婦人科医である故・吉村正氏が中心となって盛り上がったムーブメントで、一時期の勢いはなくなったものの、アーティストのコムアイさんがアマゾンで出産したり、タレントの吉川ひなのさんが水中出産したりといった出来事に象徴されるように、一部の女性たちから支持されているのがわかる。
そうしたコア層だけでなく、自然信仰はさまざまなイデオロギーやビジネスとも混ざり合い、広く浅くあらゆるところに入り込んでいるので、聞きかじりで「なんとなくそういうものだ」と思っている人も多そうだ(真由子さんを罵倒した人たちはおそらく後者だ)。
はじまりは、不妊治療中の共感
真由子さんが「“自然じゃない”からツケがきた」と罵倒されたきっかけは、ブログである。当時はブロガー全盛期。

文章を入力するだけでブログとして公開できるというサービスが2003年に「ライブドアブログ」「はてなダイアリー」ではじまり、翌年にはアメブロが登場している。真由子さんもそのブームに乗っかり、2008年にブログを開設したひとりだった。
真由子さんが書いていたテーマは、不妊治療とがん闘病。
「私の体験が、いつか同じ立場になって悩む人の体験になってくれますように」
そう思い、はじめたブログだった。不妊治療と闘病。深刻なテーマなので、ノリは軽く楽しくハッピーに! そんなことを心がけながら、サービス精神も手伝って、赤裸々にテンポよく、毎日の生活や病状をつづっていった。
「すると次第に常連読者のような人たちも増えて、いつも熱心に応援のコメントを残してくれるようになりました。ブログランキングも、そこそこいっていましたね。自分の体験がこんなに喜んでもらえるんだ…って、すごくうれしかった。手ごたえも感じて、どっぷりハマっていきました」

ブログのコメント欄はこんな調子だ。
「マユさんのブログに、いつも励まされています! 私はこの前測ったAMH値(※)が低くてへこんでいるんですが……マユさんは検査されましたか?」(※卵巣に成長途中の卵子がどれだけあるかを示す値。“卵巣年齢がわかる検査”として知られている)
「我が家も不妊治療3年目。新車一台買えちゃうくらい突っ込んでます。でもマユさんはそのうえ闘病まであるんだから、本当に本当に大変ですよね。ご自愛くださいね。西日本からパワーを送ります!」
どれだけ共感し合っていても
こんなコメントが次々と書き込まれる。コメント欄の常連は、同じく不妊治療をしている人が多かったようだ。お互いのブログにコメントを書き込みあうのも暗黙のお作法であるため、誰が更新したか、朝と夜にPCをチェックするのがルーティンとなった。そしていつしかひとつのコミュニティのようなものが、ネット上にできあがる。
ところが、コメント欄の風向きが変わってきた。それは真由子さんが妊娠し、喜びの報告を書きこむようになったころからだ。
「最初は、急にコメントが減ったんですよね。まあ、テーマが不妊治療と闘病ですから。つらい胸のうちを共感するのが目的という人が多かっただろうし、仕方のない反応ではあるんでしょう。でも、うれしい報告のときはザーッと潮がひくように人がいなくなり、悲しい報告のときは津波のごとく人が押し寄せる。みんな人の不幸が好きなんだなあ……と感じたのをよく覚えています」
すべては「自然じゃない」せい
そして出産後、“自然じゃない”攻撃がはじまった。
「神様がこの人は産むべきではないと病気にしたのに、不妊治療とかまでして無理に産んだから、子どもが障害持って生まれてきたんだよね。かわいそw」

コメント主は当然匿名。しかし真由子さんからは書き込んだ人のIPアドレスが見えるため、それが常連読者であることはすぐに判明した。
「子ども、ブサイクじゃね?」
「帝王切開って、やっぱり不自然なんだよね~。こわ」
「私は絶対無痛も帝王切開も嫌だわ。陣痛で子どものパワーを味わってこそ、真実のお産だって、偉い先生が言ってたわ。やっぱ楽するとツケがくる」
生まれた子どもは障害を持っていたが、真由子さんの子どもの場合は先天的なものであり、分娩時のトラブルなどが原因ではない(分娩時の事故が原因となる場合もある)。
もちろんそれも、ブログで説明してきたことだった。だからそれらのコメントはほぼ、自然なお産を本当に信じているというよりも、真由子さんを妬(ねた)み、貶(おとし)めたいためだけの主張である。そもそも、彼女らの文脈に照らし合わせると“自然じゃない”はずの不妊治療のときは、みんなで励ましあっていたのだ。。

そして無自覚に「障害は母親の責任」とも言っており、子どもに何かよからぬことが起こると、すべて母親の責任にされてしまいがちなこの世の中の表れでもあるだろう。
「入院中も、ありましたね。何カ月も管理入院で病院のベッドから動けないので、いろいろな友だちがお見舞いに来てくれるんですよ。するとひとりの男友だちがこういったんです。『妊娠出産は病気じゃないのにね(笑)』『帝王切開で産むんだって? 大丈夫? お腹を痛めて産まないと、子どもに愛情わかないんじゃない』
……絶句しました。え、病気だよ? がんの妊婦だから管理入院してるんですけど? 出産後、連絡はとらず縁を切りました」
テンプレそのまんまと言える、フレーズである。
他人の育児に口を出す人々
何かの漫画にでも出てきたのを覚えていたか、親がそういう類のことを言う人だった可能性が高いだろう。
「でも出産後、彼を除くほとんどの友人たちは『病気を抱えながら、よく産んだ!』と大喜びしてくれました。一方、顔が見えないブログの読者は言いたい放題です。
暴言吐いていた常連読者たちは、子どもが生まれてからもだいぶ長いあいだコメント欄に居座って、紙オムツじゃないからどうとかミルクがどうとか、逐一(ちくいち)ケチをつけていましたね。あんなに『応援してます!』とか言っていた口で……と萎(な)えて、怒る気も沸きませんでした。でも私のことは何を言われても別にいいけど、いまでも子どもの悪口だけは許せません」
粉ミルク、ベビーカーは便利だからダメ?
さらに育児がはじまると、身近でも“自然じゃない”ことを批判される出来事に、たびたび遭遇した。
「これは従妹の話なんですが、母乳が出ず粉ミルク育児だったんですよ。するとお約束のように、母乳信者の親戚が大騒ぎ。母乳は完全栄養食! 粉ミルク育ちの子は体が弱くなるし、目の輝きが何か違うのよねえ~ですって」

「母乳は完全栄養食」はかつてあった定番フレーズだが、実際には粉ミルクよりもビタミンDが不足することが指摘されている(もちろん母乳ならではのメリットもたくさんある)。しかしたとえそれを伝えたとしても「手間暇かけるのが愛情」という神話であるため、栄養云々ではなく「便利なもの」がダメなのだ。
まったく見知らぬ人から、ベビーカーも非難されたこともある。真由子さんが子どもの手術のため、飛行機で病院へ向かおうとしていたときのことだ。
エスニックな服装の、30代くらいの女性が、突然ツカツカッと近づいてきた。

え、誰だろ。驚く真由子さんに、女性は、
「呆れます! そんな大きな子、どうして歩かせないんですか? 親の便利さを優先してるんですか!」
と言い放った。
「自然」を選べない人もいる
「何年もかけて準備してきた手術も、子ども本人が熱を出すと受けられなくなるんで、手術入院で病院に向かうときは体力温存のためベビーカーに乗せていたんですよね。5歳くらいまでかな。
たしかにうちの子は、見た目には障害があるってわからない。でも普通、何か事情があるって想像できません? 自然で健康な日常を楽しめる恵まれた人たちが、どうしてわざわざ私たちを攻撃してくるのか。攻撃のための“自然信仰”に、本当に迷惑しています」
真由子さんを批判してきた人たちの多くは、自然であることにこだわっているのではなく、自分が気に入らないのでケチをつけたいだけの、単なる八つ当たりなのだろう。
無痛分娩で失うもの、とは
しかし世の中にある「妊娠出産育児は自然であるべき」という言説が、攻撃材料につながっていることは見逃せない。

「自然を選べない人を見つけて、マウントの材料にしないでほしい。無痛分娩で失うもの? うちの場合は普通分娩していたら、親子で死んでますけど?」
真由子さんの怒りは、もっともである。冒頭のシンポジウム全体は、こうした出来事を助長するような講演ばかりでなかったようであるのが、まだ救いだろうか。
そして、真由子さんを「“自然じゃない”=帝王切開」と攻撃した人たちはいま、納得のいく妊娠出産をしているだろうか。自分の言葉にとらわれて「自然なお産」の沼に落ちていないといいのだが。
<取材・文/山田ノジル>
山田ノジル
自然派、○○ヒーリング、マルチ商法、フェムケア、妊活、〇〇育児。だいたいそんな感じのキーワード周辺に漂う、科学的根拠のない謎物件をウォッチング中。長年女性向けの美容健康情報を取材し、そこへ潜む「トンデモ」の存在を実感。愛とツッコミ精神を交え、斬り込んでいる。2018年、当連載をベースにした著書『呪われ女子に、なっていませんか?』(KKベストセラーズ)を発売。twitter:@YamadaNojiru
(エディタ(Editor):dutyadmin)
