2016年のクリスマスイブに突如乳がん宣告。(ステージⅡB)。晴天の霹靂だった「がん宣告」から約1年間、泣いたり笑ったり怒涛の日々を駆け抜けた、私のがん治療ドキュメンタリーを連載でお届けしています。
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運命の執刀医、S先生との出会いにビビビ

※イメージです(以下、同じ)
手術のための精密検査を経て、いざわたしのがんの全貌が分かる日。やっぱりがんじゃなかったりして……と今さらほんの少し期待しつつ診察室に入ると、優しそうな男の先生がわたしを迎えてくれました。
「検査大変だったでしょう。おつかれさまでした」
第一声にそんな優しい言葉をかけてくれて、ああ、この先生なら私の身体を預けられるかもと、ビビビとくる感覚がありました。
最初の先生にに怒鳴られてしまったので、そんな気遣いをしてくれたS先生に気持ちがゆるんで「ここはがん専門病院なので、がん患者なんて見慣れているかもしれませんが、私にとっては初めてのことで、とっても不安なんです」と本音を伝えることができました。
すると先生は、「そりゃあ自分ががんになったら驚くよね。なにか不安なことがあれば、僕でもいいし、看護師でもいいし、なんでも相談してくださいね」と……。
乳がん発覚からここまで、張り詰めていた気持ちがグンとラクになり、思わず笑顔までこぼれたのは自分でも驚きです。そして先生は、精密検査の結果をじっくり分かりやすく説明してくれました。
検査結果は、やっぱり悪性。手術方針が決定
私が触ったしこりはやはり悪性の腫瘍だと、ここで確定診断が出ました。
「あーごめんごめん、なんか見間違いだったみたい」なんていう奇跡は起こらず、いよいよ真面目にがんの治療に取り組まなければならなくなりました。サイズはエコーでの採寸で3センチ程度。乳房近くのリンパ節にも2か所転移があったとのことでした。
検査の結果、悪性度の高いがんで、大きくなるのも早いと予想されるため、できるだけ早めの処置をしたいと先生から話がありました。私のがんの場所や大きさから提案されたのは「乳房全摘出」。要はがんのあるほうのおっぱいを片方全部取ってしまう手術です。
さらに転移があったリンパ節をはじめ、転移していそうなリンパ節をごっそり切除したほうが良い、とのことでした。リンパ節を取ると、全身を巡るリンパ液の通り道がなくなるため、術後は副作用でむくみが出るそう。
先生によると、むくみなどのリスクはあれど、せっかく手術で本丸のがんを切除するのに、転移しているリンパ節を残すわけにはいかないとのこと。先生のその意見にわたしも納得しました。
大工事にはなりますが、できるだけ再発のリスクを避けるような手術をしたいという先生の気持ちが伝わってきました。
おっぱいに対する思いは人それぞれ

人によっておっぱいに対する思いはそれぞれですが、やっぱり女性性の象徴でもあり、見た目にもかなり影響するデリケートな部分です。
患者さんによっては、どうしても残したいと考える人も多いようですが、私は逆に「とにかく悪い部分をゴッソリきれいに取り除いてほしい!」と思いました。
あまり自分の女性性にこだわりもなく、さらにわたしはすでに結婚し、出産も経験して、子どもに授乳もし終わった身。自分のおっぱいは使命を終えたと思っていたので、「取るならとっちまいな!」という気持ちでした。
ですが、そんなにスッキリと結論が出る人ばかりではないようです。病院で出会ったある女性は、30代で未婚。
これから結婚も考えているので、胸を取ることはしたくないと言っていました。けれど部分切除では難しい場所にあるため、悩んだ末に全摘して再建(おっぱいを人工的に作ること)をすることにしたとのことでした。
もうひとり、同じ病院で話した患者さんは、わたしよりずっと高齢でしたが、おっぱいにはこだわりがあるようで「乳首だけは残したいのよ!」と言って、乳首を残す手術をしてくれる病院を探して点々としていました。
そのうちに乳がんが大きくなってしまって、部分切除どころではなくなってしまったようで、何とも言えない気持ちに……。
女性はみな、平等おっぱいがついているけれど、そのおっぱいへの思いは人それぞれなんだなぁ。私も未婚でもっと若かったら「切りたくない!」という気持ちが強かったかもしれません。おっぱいを取るということは、年齢関係なく、人それぞれ受け止め方が違うのです。
抗がん剤への抵抗感で「やる意味あるんですか?」と質問
先生には「手術の後には、おそらく抗がん剤治療を勧めることになるだろう」とも言われました。
乳がんにはいくつかタイプがあるそうで、そのタイプによって術後の治療法が変わってくるそうです。乳がんというと「ホルモン療法」のイメージを持つ人もいるかと思いますが、私のがんはホルモン治療がきかないタイプ。手術後にできる治療としては、抗がん剤と放射線しかないとのことでした。
私にとって抗がん剤のイメージは「げーげー吐いて、ハゲるやつ」。手術はどうせ全身麻酔だし、寝てる間に終わるからまだいい。けど、じわじわハゲて吐きながら長いこと苦しむ抗がん剤はめちゃくちゃ怖い……。
できるだけやりたくなかったので、抗がん剤の必要性について先生に「本当にやる意味あるんですか?」と先生に突っ込んでみました。
が、私のがんはホルモン療法が効かないこと、リンパ節への転移が2か所あったため、リンパ節から全身にがん細胞が回ってしまっている可能性があり、手術でがんを取り除くだけでは不安であることから、抗がん剤治療を「強くお勧めします」とのことでした。
抗がん剤と聞いて思い出すのは、亡くなった義母の姿。末期のがんが見つかり、手術ができないので抗がん剤治療をしましたが、お見舞いに行くたびに毛がなくなり、抗がん剤で食欲もなくなり、どんどん痩せていく姿を見るのはあまりにツラい経験でした
これなら何も知らないまま日常生活を過ごし、ある日突然倒れてそのまま亡くなったほうが幸せなんじゃないか、とも思いました。
なのでいざ私が抗がん剤を打つとなると、あの義母の姿が浮かんでしまい、抵抗感も強かったのです。
納得するまで説明しようとしてくれる先生
しかも抗がん剤は、約半年かけて行う治療。怖すぎるので根掘り葉掘り、先生を質問攻めにして説明を聞きました。その結果、私なりに解釈すると「身体にがん用の除草剤を撒く」ということに近いのかなという印象でした。
私のおっぱいにできたがん細胞が、リンパ節を通って全身にバラまかれている。それを抗がん剤で根絶やしにする、というイメージです。
それは繁殖力の強い雑草が抜いても抜いてもどんどん庭に広がっていくのを食い止めるために、いったん庭に除草剤を撒いて、すべての草を根絶やしにする。という行為にとても似ていると思ったのです。
抗がん剤で髪が抜けるのは、とても強い薬であるからこそ、がんを攻撃するついでに、構造が似ている髪の毛も一緒に攻撃してしまうからだそうです。
さらには免疫力もかなり落ちるし、やっぱりなかなかハードな治療法。半年間もの期間、副作用が強い薬に自分が耐えられるのか不安でたまらなくなりました。
もし抗がん剤をしなかったらどうなるのか、データ上はどうなのか、抗がん剤をした人としなかった人とで、どれくらい再発の差があるのか、など矢継ぎ早に質問し、ほんとうにどうしても抗がん剤が必要なのか先生に詰め寄る私。
患者さんで混みあう待合室、あまり長い時間はとれません。先生は不安がるわたしにゆっくり対応してくれようと「今は次の患者さんがいるのでゆっくり説明できないけれど、夕方まで待ってくれたら時間を取って納得がいくまで説明しますよ」と言ってくれました。
ついに決断「やってやろうじゃないの」

忙しいのに、わざわざ時間を取って納得いくまで話をしてくれるという先生のお言葉に甘えて、夕方まで待ち、改めて手術について、抗がん剤について詳しく話を聞きました。
先生はわたしの不安を真摯に受け止めてくれつつも、何度聞いてもやはり「強く勧める」というスタンスは変わりません。
基本的にすべての治療は、本人の選択と同意がないと行えないため「強くお勧めする」という言い方でしたが「この先生がここまで熱心に説明してくれるということは、私にはこの治療が必要なんだ」と思うようになりました。
きっと普通なら、夕方に時間をとってまで対応してくれる先生なんていないいと思いましたし、こんなに優しくて親切で、患者に寄り添ってくれる先生が、そこまで言うならやるっきゃない。
長い時間話をして、私の心が決まりました。やってやろうじゃないの。
私の右胸にあるがんをバシっと切り取って、抗がん剤とやらをぶち込んで、身体からがん細胞を一掃してやろうじゃないの! と、メラメラとした気持ちが湧き上がってきました。
きっと乳がんハイ? アドレナリンがドバドバ出ていたと思います。ハラが決まったところで、あとは手術を待つのみ。がん患者が多いのでベッドが空き次第、案内の電話がかかってくるとのこと。
手術が迫っているのに、日にちが分からない。ドキドキしながら電話を待つ日々が続きました……。
<文/塩辛いか乃 監修/石田二郎(医療法人永仁会 Seeds Clinic 新宿三丁目)>
塩辛いか乃
世の中の当たり前を疑うアラフィフ主婦ライター。同志社大学文学部英文学科卒。中3繊細マイペース息子と20歳年上の旦那と3人暮らし。乳がんサバイバー(乳房全摘手術・抗がん剤)。趣味はフラメンコ。ラクするための情熱は誰にも負けない効率モンスター。晩酌のお供はイオンのバーリアル。不眠症。note/Twitter:@yukaikayukako
(エディタ(Editor):dutyadmin)
