42歳のクリスマスイブに突然、乳がんと宣告された私(ステージⅡB:リンパ転移あり)。
約1年かけて乳房全摘手術、抗がん剤、放射線とフルコースを味わった怒涛の乳がん体験談をお届けします。
胸に「ゴリッ」としたものが…
12月中旬のある日、小学校に行っている息子の帰宅を待ちながら、ソファに肘をつき、右腕で頭を支えながら、テレビをぼんやり見ていた私。
その日、何とはなしに左手で右胸を触ると、今まで触れたことのない「ゴリッ」としたものが、胸の中にあることに気づきました。
ふだんは乳がんチェックなどまったくしておらず、子育てに追われて健康診断にも全然行っていなかった時期。息子が赤ちゃんの頃、母乳が出すぎて詰まってしまい、よくしこりになっていたので「そういうものかな」と思いつつ、なんとなくモヤモヤしたまま数日を過ごしました。
一度見つけてしまうと、気になって何度も胸のしこりを触ってしまいます。知り合いに話してみると、知人は良性のしこりがあって、経過観察をしているとのこと。そう聞くとやはり自分のしこりも気になるため、念のため年内に受診しようと思い立ちます。
小さなクリニックを受診
病院に行こうと思い立ったのは12月20日頃。いままで乳腺科を受診したことがなかったので、病院探しからスタートしました。
行ける範囲で、どこか良い病院はないかとグーグルの口コミを探していると、エコーやマンモグラフィ検査の結果が当日中に出るクリニックを発見。
通常は検査しても、結果は1~2週間後。不安なまま年を越すことになってしまいます。だったら当日すぐに結果が出るほうが、安心して新年を迎えられると思い、そちらに行くことに。
すでに予約枠は埋まっていましたが、多少長く待っても、今日中に受診できれば良いとクリニックを訪れて診察を受けました。
先生に気になることを伝えると「まずは検査しましょう」と検査室へ案内されました。
院長1人で診察している小さなクリニックで、先生自身がエコーやマンモグラフィをしてくれました。念のため、しこりに針を刺し、細胞を取って調べる「細胞診」もしましょうと、細い針で組織を取られました。この細胞診は外部に委託するため、結果は年明けになるとのこと。
クリスマスイブに突然の「乳がん宣告」

ひととおり検査を終えて待合室でかなり長い時間待ち、診察室に呼ばれました。きっと良性のしこりだろうと踏んでいたわたしは「どうでしたかねぇ」と若干うわついた調子で先生に話しかけました。
すると先生は、丁寧かつハッキリとした口調で「残念ですが、いままでの私の経験上、このタイプのしこりは90%悪性です」と言いました。
私は何が起こったか分からず、何秒か沈黙したあと「それって、ガンてことですか?」と聞きました。
すると「残念ながらそういうことになります」と先生はハッキリと言いました。
疑問があふれ、頭が真っ白に
私の頭の中にさまざまな思いが駆け巡りました。なんで見ただけでわかるの? 細胞診の結果も出ていないのに、90%なんてどうして断言できるの?良性の可能性はないの?と「?」が暴走。
先生はその動揺を察したのか、矢継ぎ早に質問をする私にひとつひとつ丁寧に説明してくれました。
先生は大きな病院の乳腺外科で長く勤めてきた経験から「100%ではないですが」と前置きしたうえで、
私ののしこりは・表面がデコボコ、イガイガしていること・エコーで見ると、しこりの血流が活発だったことが特徴的だと説明。「いままで診てきた患者さんの中で、私のような40代で、このタイプのしこりが良性だった経験は一度もない」と言うのです。
そもそも「良性のしこりの場合、普通は血流が活発になっていない」とも言っていました。いよいよ「90%」という数字が真実味をおびはじめました。
健診のつもりで気軽に訪れたはずのクリニックでされた突然のがん宣告に、いきなり誰かに頭を殴られたような衝撃と、全身がしびれたような感覚があり、ついに頭が真っ白になりました。
「まさか。私が乳がんになるなんて」
細胞診の結果は年明けに聞くことに
がんは日本人の2人に1人がかかります、と言われて「ふーん、そうなんだ」となんとなく思ってはいても、まさか自分がその1人になるとは皆さんも想像していないのではないでしょうか。
私もまさに「対岸の火事」と思っていました。それが「自分ごと」としていきなり目前に迫ってきたのです。
「初発の乳がんは、とにかくちゃんと治療をすれば必ず治りますから、必ず治療を受けてくださいね」と先生はわたしの目をまっすぐに見て、熱のこもった表情で必死に語りかけてきました。
そして、その日はクリスマスイブ。はっきりした細胞診の結果は年明けになります。
「細胞診の結果はまず間違いなく悪性だろうから、できるだけ早い治療を開始したほうがいい」とのことで、年末年始の間に治療ができる病院を探しておくよう言われました。
とはいっても、知り合いでがんの治療をした人もおらず、病院のあてがない状態。困っていると先生は、
「乳がんは治療の仕方は確立されています。それを『標準治療』と言います。乳がんの治療ができる病院ならそれを受けることができます。
なのでまずは、「手術・抗がん剤・放射線治療」ができる設備が整っている病院を探してみてください」と説明をしてくれました(それでも手掛かりがなさすぎて、年末年始は病院調べに明け暮れることになるのですが……)。
「ちゃんと治療しましょう」の真意

先生は続けて言いました。
「詳しくは細胞診の結果にもよりますが、あなたのガンのタイプを予想するに、おそらく手術と抗がん剤、あと放射線の治療をすることになると思います。おおよそ1年間の治療になりますが、ちゃんとやれば治りますから大丈夫です。少し頑張って治しましょう」
先生があまりに「ちゃんと治療しましょう」と熱弁をふるうので、悪性ならば当然早く切って取ってしまいたいと思っていたわたしは、ふとその発言を不思議に感じました。
「乳がんと言われてショックですが、怖いし、もちろん手術をはじめ治療はするつもりです。逆にちゃんと治療しない人っているんですか?」
そう聞いてみると先生はとても困ったような顔をして「残念ながら、乳がんを宣告されたあと、治療をしなくなっちゃう人がいるんですよ」と言います。
聞けば「自分が乳がんである」という現実を直視できず、「がん」という得体のしれない言葉に怯えてしまって、治療に向かえない人や、何か別の代替療法を求めて、病院に来なくなってしまう人が少なからずいるのだとか。
「だけど、本当にきちんと手術して必要な治療を受ければ、また日常生活に戻れるんです。1年は長く感じるかもしれませんが、1年だけ頑張って治療してくださいね」と再度強調して言われました。
病院を出ると、涙がこぼれた

こうして、軽い気持ちで訪れたクリニックでいきなり「がん宣告」を受けてしまった私。
診察が終わって待合室に行くと、私は最後の患者だったようです。長く待たされたのは、私にがん宣告をする必要があって、時間がかかりそうだったからあえて最後にまわしたのかなと思いました。ひとりぽつんとお会計を待っている間に涙がこみあげてきましたが、なんとかこらえてお会計を済ませて外に出ました。
外に出た瞬間に、思わず涙がこぼれてきました。街を歩く人は変に思ったかもしれませんが、こみ上げる涙をどうしても止められませんでした。歩きながら泣いていればあまり気づかれないかもしれない、と、とにかく下を向いて足早に駅に向かいました。
クリスマスイブなのに。今日は帰ってクリスマスの食事を作る予定だったのに。泣きながらそんなことを考えていました。そうだ、夫に連絡しなければ。と急に思い出し、夫に「ほぼ間違いなく乳がんと言われた」とLINEしました。
家族の顔を見るとパニックになりそうだったので、どこかで気持ちを落ち着けてから帰ろうと思い、少し遅くなるかもしれないと伝えました。
クリスマスに突然やってきた乳がん。ここから私の乳がんとの日々が始まります。
<文/塩辛いか乃 監修/石田二郎(医療法人永仁会 Seeds Clinic 新宿三丁目)>
塩辛いか乃
世の中の当たり前を疑うアラフィフ主婦ライター。同志社大学文学部英文学科卒。中3繊細マイペース息子と20歳年上の旦那と3人暮らし。乳がんサバイバー(乳房全摘手術・抗がん剤)。趣味はフラメンコ。ラクするための情熱は誰にも負けない効率モンスター。晩酌のお供はイオンのバーリアル。不眠症。note/Twitter:@yukaikayukako
(エディタ(Editor):dutyadmin)
