―連載「沼の話を聞いてみた」―
未就学児に知識や技術を習得させる「早期教育」。気軽なお稽古(けいこ)感覚のものから、後の進学や受験を見据えた気合の入ったものまでと幅広くあるが、当連載のテーマは「沼」なので、今回の体験談は後者である。
現在50代の歩(あゆみ・仮名)さんが早期教育として某知育教室に熱を入れていたのは、すでに成人している息子の幼稚園時代なので、いまから20年ちょっと前。
その教室は教育熱心な母親たちのあいだで口コミで広まり「知る人ぞ知る有名な存在」だったという。
「あの教室で出会った母親たちの、切迫した熱意。いまでもリアルに思い出されます。教室に時間をとられて生活が荒れていくのに、いまやらないと周りから遅れをとるのでは……と焦る気持ちも」
ドラマ化された漫画『二月の勝者ー絶対合格の教室ー』(高瀬志帆著・小学館)では、中学受験を「父の“経済力”と母の“狂気”」と説明するセリフに注目が集まったが、歩さんの話に出てくる教室のママ友たちも、まさにそんな感じであった。
子どもにはハードすぎる一日
「そこでは、積み木を使って数の考え方を学ぶ授業がありました。ウチの息子はたまたまレゴとかが大好きだったんで、積み木というポイントがツボに入ったみたいで。ママ友からの口コミで体験に行くと、本人がやりたいと言うので通うことにしたんです」
当時は、授業を1コマごと予約して受講するスタイルだった。知育教室なら週に1~2枠くらい……? なんとなくそう思っていたら、そんなゆるい世界ではない。
フルに時間を使える土日には、1日に可能なかぎりの授業を申し込む熱心な親が多かったという。1コマ45分(小学校と同じだ)で朝10時から8コマ確保、6時間授業の小学生よりハードである。

はじめは最低限でと思っても、あれやこれやとかさんでいくのは習い事の常であるが、競争心をあおられ周りの価値観に染まり、どんどんエスカレートしていくのは、これまで体験談を聞いてきたカルト宗教や推し活、美容整形などにも共通しているように思えた。
中学受験を少しでも有利に
「通わせている親はほとんど、いずれ来る中学受験に向けていまからアドバンテージをとっておくのが目的でしたね。小学校3~4年生で本格的な学習塾に入る前に、ある程度の段階までは下準備しておこうという感じです」
公文などの学習教室や通信教育、英会話などはいまの時代でもめずらしいものではなく、程度の差こそあれ多くの家庭がやっている取り組みだろう。しかし歩さんたちの早期教育事情は、より効率よく、より目標に近づけるよう、熱意がフルスロットル状態だ。
「とあるお母さんは、その授業を詰め込んだうえ、わずかな待ち時間に漢字検定の勉強をさせていました。よっぽど漢字が好きな子どもとかならいいですけど、幼稚園児に検定を受けさせて意味があるのか」
「車で通っていた別のお母さんは時間がないからと、食事はいつもコンビニのパンですませ、車内で歯磨きをさせるのが日常。もちろん、この教室以外にもいろいろなものに通わせていました」

有名幼児教室である七田式や速読トレーニング。音楽、体操、スイミング。習い事としてはめずらしくないものが多いが、そのコミュニティではすべてが「頭がよくなるから」という点が重要視されていた。
「なかでも驚いたのは、絵本の読み聞かせです。私の場合だと、昔好きだった絵本だからとか、早く寝てほしいからというのが、読み聞かせする理由です。ところがそこでは“知能のため”という目的がはっきりある」
「音楽も、聴くのが好きだからではなく、音楽で右脳開発して勉強ができるようになるため、です」
子どもの能力を磨こうとする母親たちの試行錯誤は、お稽古と表現できる範囲を、飛び越えていく。

「スピリチュアルに傾倒している人が多かったのも、よく覚えています。“波動”という言葉もこのときにはじめて耳にしました。一般的にスピリチュアルというと、自分の内面と向き合うものという感じですよね。ところがそのコミュニティでは、“よい波動が来ると頭がよくなるらしいよ”になるんです」
そうした環境に置かれた、子どもたちはどうなのか。たやすく想像できるが、当然ストレスフルで、心身ともに追い詰められていたと思われる。
「授業のあいだの休憩時間が、とにかくすごかった。ストレスを爆発させるためか、阿鼻叫喚(あびきょうかん)の大騒ぎです。ものを投げ合って大暴れしていたり、嘘をつくなど意地悪ばかりする子どもも。子どもは自己中心的で元気なもの! なんて範疇をはるかに超えた異様さでした」
逆に静かだけど、目が死んでいる印象の子や、チックが出ている子もいたという。
「あるとき、特にひどく暴れてケンカした男の子に『大変だったね』と声をかけたら、すごいキョトンとしていて……親から、自分自身が重んじられている、大切にされているとわかるような声のかけられ方をした経験があまりないのかなと思いました」
その後、歩さんはその男の子には異常なくらいに懐かれてしまったそう。

そうした惨状があろうと、教室側はビジネスだ。おかまいなしに、親をどんどんけしかけていく。毎月の成績を発表して上位者の名前を貼りだし、がんばりを可視化。達成感や競争心をあおっていく。

有名幼児教室である七田式や速読トレーニング。音楽、体操、スイミング。習い事としてはめずらしくないものが多いが、そのコミュニティではすべてが「頭がよくなるから」という点が重要視されていた。
「なかでも驚いたのは、絵本の読み聞かせです。私の場合だと、昔好きだった絵本だからとか、早く寝てほしいからというのが、読み聞かせする理由です。ところがそこでは“知能のため”という目的がはっきりある」
音楽も波動も「知能」のため
「音楽も、聴くのが好きだからではなく、音楽で右脳開発して勉強ができるようになるため、です」
子どもの能力を磨こうとする母親たちの試行錯誤は、お稽古と表現できる範囲を、飛び越えていく。

「スピリチュアルに傾倒している人が多かったのも、よく覚えています。“波動”という言葉もこのときにはじめて耳にしました。一般的にスピリチュアルというと、自分の内面と向き合うものという感じですよね。ところがそのコミュニティでは、“よい波動が来ると頭がよくなるらしいよ”になるんです」
そうした環境に置かれた、子どもたちはどうなのか。たやすく想像できるが、当然ストレスフルで、心身ともに追い詰められていたと思われる。
「授業のあいだの休憩時間が、とにかくすごかった。ストレスを爆発させるためか、阿鼻叫喚(あびきょうかん)の大騒ぎです。ものを投げ合って大暴れしていたり、嘘をつくなど意地悪ばかりする子どもも。子どもは自己中心的で元気なもの! なんて範疇をはるかに超えた異様さでした」
子どものストレス、親の熱狂
逆に静かだけど、目が死んでいる印象の子や、チックが出ている子もいたという。
「あるとき、特にひどく暴れてケンカした男の子に『大変だったね』と声をかけたら、すごいキョトンとしていて……親から、自分自身が重んじられている、大切にされているとわかるような声のかけられ方をした経験があまりないのかなと思いました」
その後、歩さんはその男の子には異常なくらいに懐かれてしまったそう。

そうした惨状があろうと、教室側はビジネスだ。おかまいなしに、親をどんどんけしかけていく。毎月の成績を発表して上位者の名前を貼りだし、がんばりを可視化。達成感や競争心をあおっていく。
さらに授業の終わりには、カリスマ的な塾長のありがたいお言葉を、保護者が聞く時間も設けられている。
「うちの教室の卒業生はいまこんな活躍をしていて~という内容が中心だったかな」

「本部は地方なんですが、そうやって全国の支部を回るんですよ。強烈なキャラクターで、ちょっとどこぞの教祖様みがありましたね」
早期教育に入れ込んだ理由
歩さんは、1年ちょっとでその教室を退会した。息子の食生活や就寝時間が荒れてきたからだ。教室で遅くなるから、帰りに外食。帰宅したら歯も磨かず寝てしまう。
周りから遅れをとるよりも、「生活習慣を身につけさせるべき時期に、ずっとこんな生活はどうなのか」という不安が上回った。しかし教室をつづけた周りの家庭は、ずっとそういう生活をしていたようだ。

「その後も早期教育はアレコレ手を出しましたが、あの教室がいちばん熱心に取り組みましたね。もしかしたら、夫との関係が悪かったことも、関係しているかもしれません。早期教育に夢中になることで、他の問題を忘れたかったのかも」
母親にのしかかる重圧が焦りに
「それに加えて、あの教室に行くと生まれる、独特の焦り。子育てって何かにつけて、こうしなくてはいけない、遅れをとらせてはならない、というような強迫観念がすごくあるものですが、それでもあの教室に通わせていたときは自分でもちょっとおかしかったと思いますね」
その後、子どもたちに早期教育の成果は現れたのか。知育教室に集った母親たちの沼とは。
<取材・文/山田ノジル>
山田ノジル
自然派、○○ヒーリング、マルチ商法、フェムケア、妊活、〇〇育児。だいたいそんな感じのキーワード周辺に漂う、科学的根拠のない謎物件をウォッチング中。長年女性向けの美容健康情報を取材し、そこへ潜む「トンデモ」の存在を実感。愛とツッコミ精神を交え、斬り込んでいる。2018年、当連載をベースにした著書『呪われ女子に、なっていませんか?』(KKベストセラーズ)を発売。twitter:@YamadaNojiru
(エディタ(Editor):dutyadmin)
