経済や雇用にも深刻な被害を与えている新型コロナウイルス。解雇や雇い止めにあう人も全国的に増加しています。
「感染も怖いですけど、コロナのせいで夫が失業しないか心配しています。リーマンショックのときに仕事を失っていて、そのときのことを思い出しちゃって」
そう語るのは、結婚15年目の須藤香織さん(仮名・38歳)。2009年に夫が失業してドン底だった日々と、それを夫婦で乗り越えた経験を話してくれました。
子育ての合間の内職で家計を支えた
結婚当初、6歳年上の夫は、機械部品などを扱う工場の契約社員でした。ところが、2009年の年明け早々に会社側から翌年度の更新を行わないことを一方的に告げられたそうです。
「当時は子供がまだ2歳になったばかりで、私は家で育児に専念していました。だから、彼から雇い止めに遭ったことを聞かされて、これからどうなっちゃうんだろうって不安しかありませんでした」
ちょうど2008年末〜09年正月には、雇い止めに遭った失業者と彼らを支援するNPOの「派遣村」が東京・日比谷公園に出現し、ニュースで何度も報じられていました。なので、覚悟はしていたといいます。
「でも、そのときに備えて準備をしていたわけではありませんでした。彼は『心配しなくていい。すぐに次の仕事を見つけるから』と言って安心させようとしてくれましたが、それが簡単じゃないことくらい私にもわかりました」

ちなみに2009年3月当時の全国の有効求人倍率は0.52倍。職を求めるひと1人に対して、求人が0.52件しかないということです。これは非正規雇用を含んだ数字で、正社員だと0.32倍とさらに狭き門。
いずれも現在=2020年10月の有効求人倍率の半分以下でした。つまり、厳しいと言われる現在よりさらに職がない状況だったのです。
再就職が簡単ではないと覚悟した美和さんは、少しでも家計の支えになればと子育ての合間にできる内職を始めます。
「ポケットティッシュに広告用のチラシを入れたり、シールを張るといったどれも単純な作業です。単価は1つ30~50銭にしかならなくて、パートに出たほうが稼げましたが、子供がまだ幼く、働きに出ることができなかったので。
頑張っても月3万円程度にしかなりませんでしたが、当時の我が家にとってすごく大きな現金収入でした」
夫は1年半のバイト掛け持ち生活を経て再就職に成功
夫は大卒でしたが地方のあまり有名ではない私大出身で、90年代末の就職氷河期の影響で就活に失敗。そのために非正規雇用でしか働いた経験がなく、このときも再就職先がなかなか決まらず、複数のアルバイトを掛け持ちしながら家族を養っていました。
「仕事を終えて家に戻り、一緒に晩ご飯を食べた後は深夜バイトなんて日も珍しくありませんでした。私は母子家庭、彼の実家も借金を抱えて頼ることができず、自分たちでどうにかするしかなかったんです」
それでも夫は雇止めから約1年半後の2010年秋、念願だった正社員としての再就職を果たします。採用されたのは通信設備会社で、雇い止めに遭った工場の前に3年ほど同業他社で派遣社員として働いていた経験を評価してくれたそうです。
配属されたのは社内で立ち上げ間もなかったソリューション事業部。この10年で日本のみならず世界的にも大きく成長し、コロナ禍でもテレワーク需要の急増などで成長を続けている分野です。
現在、夫は課長に相当するチーフマネージャーで、年収も同年代の平均を上回る720万円というからすごい躍進ぶりです。
現在は夫婦共働きで世帯年収は1000万円以上
「彼は『運が良かった』と言いますが、残業続きで子供の寝顔しか見られない時期もあり、そうやって仕事を頑張ってくれたおかげで今の生活があると思うんです」
一方の香織さんも息子の小学校進学を機にフルタイムで働きに出て、夫婦の世帯年収はなんと1000万円を突破。築30年のボロアパートから、中古ながら一戸建てのマイホームを手に入れるなど生活も劇的に変化したようです。
「あのころに比べたら生活水準は上がりましたけど、節約グセは抜けないですね。だから、家も車も中古ばかり(苦笑)。
今は大丈夫でもこの先何があるかわかりませんし、しばらく食いつなげる程度の貯金がないと不安なんです。さすがにあんな苦労は二度としたくないですから」
若いころに経験した職なし金なしの夫婦ドン底生活は、教訓としてしっかり今に生かされているようです。
―私のドン底記―
<文/トシタカマサ イラスト/カツオ>
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一般男女のスカッと話やトンデモエピソードが大好物で、日夜収集に励んでいる。4年前から東京と地方の二拠点生活を満喫中。
(エディタ(Editor):dutyadmin)
