「仕事を辞めようと思う」。家族や友人から突然こんなことを切り出されたら、あなたはどんな反応をしますか?
「私、仕事辞めてフランスへ行くことにした!」。親友からいきなりこう告げられ、ひっくり返りそうになったと語るのは、都内に住む聖美さん。

好きな業界で働き、充実した毎日を送っていた親友が、これまでの生活を捨てて海外へ……。当初はその大胆な決断に首を傾げたという聖美さんですが、事態は思わぬ展開を見せたと振り返ります。
「人間いつ死ぬかわからないから、後悔なく生きたい」
聖美さんの親友、尚子さんがフランス行きを決めたのは33歳の時。大手マスコミで働き、忙しいながらも充実した日々を過ごしていたはずでした。
「尚子は、やりがいがあって収入も良い当時の仕事にすごく満足していました。設備の良い新築マンションに住んで、友達とグルメや旅行を楽しんで、恋人はいなかったけど、独身生活を謳歌(おうか)していた。それなのに、仕事も辞めて、フランスに語学留学するっていきなり聞かされて。ぶっ飛びましたよ」
転勤や結婚などの事情で海外へ行くなら理解できるけれど、好きな仕事を辞め、現在の生活を捨ててまで、なぜ語学留学するのか理解できなかったと聖美さんは話します。
「仕事を辞めて後悔しない? もう少しじっくり考えたら? って説得したんですけどね。だって尚子はずっとマスコミ志望で、編集の学校などにも通っていたんです。やっと希望の仕事ができるようになったのに、もったいないなと思って」
でも尚子さんの決意は固かったといいます。
「実は尚子がフランス行きを決断する少し前、身内の方に不幸があったんです。以前からフランス語は勉強していたし、憧れてはいたんでしょうけど、それよりも身内が若くして亡くなったことが影響したみたいです。人間いつ死ぬかわからないから、後悔がないように、今のうちにできることをする。そう心に決めていたようです」
“愛の国”で目覚めた? 結婚願望を爆上がりさせて帰国
間もなく退職し、渡仏した尚子さん。たまに送られてくるメールでは、現地での生活を満喫している様子だったそうです。そして、予想外の変化も……。
「正直、留学と言っても半分はバカンスみたいなものかななんて思っていたんですが、全然違いました。向こうでの尚子は、朝から夕方まで必死で勉強していたようです。時々連絡を取ると、フランス語は難しくて大変だと言いながらも楽しんでいた様子でした。
でも私からすると、言葉以上に学んだことがあったと思います。なんて言うか……さすが“愛の国”フランスって思いましたよね(笑)」
聖美さんによると、尚子さんは元々、恋愛に冷めているタイプだったそうです。
「『束縛されるのが嫌だから、恋とか結婚とか面倒くさい』と言っていたんです。それが、帰国してから結婚を意識する発言がやたら多くなって、あれ? と思いましたね。カップル文化が根付いている国にしばらくいて、感化されたみたい。フランス人女性に憧れてもいたので、愛に生きる女性たちを現地で見て影響を受けたのかな」
そんな尚子さんは帰国後、相手を見つけて36歳で結婚。周囲はかなり驚いたそうです。
「尚子の家族や友達はア然でしたよね。まるで男っ気なかったし、合コンもほとんど行ってなかった。それに、周りは既婚者ばかりで出会いもなくて『誘ってくるのは既婚者ばっかり!』などとボヤいてた。そういう意味では、くすぶっていたのかな」
そんな尚子さんが帰国後に結婚したのは、「フランスに行った効果。恋愛や結婚に対する姿勢が完全に変わったから」と聖美さんは笑います。
「iPhoneって何?」と言っていた親友が、IT業界に転職
元々、映像制作の仕事がしたくてマスコミで働くようになったという尚子さん。ところが、渡仏をきっかけにあっさり考えを変えて、帰国後に転職したそうです。
「IT企業で働くことにしたって聞いたときはビックリしました。あれだけ映像の仕事が好きだったのに。それに、すごいIT音痴だったんですよ。ネットやスマホにも興味なくて、iPhoneって何? くらいの感じで」
それなのに、どうしてIT企業に転職を?
「本人も、途中までは映像の仕事に戻る気だったみたいです。でも、フランスにいたときに、インターネットのすごさを実感したそうです。たとえば日本の情報がほしくても、現地の新聞やテレビでは入手できない。でも、ネットでYahoo!JAPANを見れば、瞬時に日本のニュースが読める。それにすごく感動して、ネットの世界を知りたいと思うようになったそうです」
フランス生活は、仕事にも転機をもたらしたようです。
「もうダメだ……」と思った瞬間、楽しかった記憶がよみがえった
帰国後、結婚や転職など、人生のターニングポイントを経験した尚子さん。でも、目に見える変化だけではなかったと聖美さんは言います。
「東日本大震災の後、『フランスに行って良かった』って尚子がしみじみ言ったんですよ。聞けば、尚子の住んでいる場所は地震の揺れがあまりに大きくて死を覚悟したけど、その瞬間『人生に悔いはないと思った』そうです」
さらに、出産後にはこんな経験もしたそうです。

「尚子は結婚から約1年後に出産したのですが、産後は体調が悪くてキツそうでした。いくら自分が不調でも、赤ちゃんのお世話は必要ですから。そんなある日、赤ちゃんが泣き止まず『もう限界』と思ったそうです」
産後は女性にとって、すごく大変な時期だといわれますよね。
「ところが、もうダメだと思った瞬間、フランスで過ごした時間が頭の中に浮かんだらしいです。きれいな景色を見て、美味しいものもたくさん食べて……そんな日々を思い出したら、体も心もスーッと楽になったそうです。あれだけ楽しい時間を過ごしたのだから、今は大変でもがんばろうと覚悟が決まったと話していました」
収入は激減! でも得たものも大きかった
30歳過ぎて高収入の仕事を辞めて語学留学なんて、リスクもあると思いますけど、尚子さんの場合は良い変化をもたらしたんですね。
「本人がよく言ってるんです。収入は留学前よりかなり下がっているので、いわゆるキャリアダウンをしたと思うけれど、今のほうが、自分に合った生き方をしている気がするって。
今では、高収入な仕事よりも、人の役に立てるような仕事に興味があるようです。フランスでたくさんの人に助けてもらったことに感謝しているんだと、ついこの間も熱く語っていました」
今あるものを捨てるという決断が、良い結果につながるかどうかは人それぞれ。ただ、親友として尚子さんを近くで見てきた聖美さんは、こう言います。
「思い切った決断って、時には大切ですね。実は私も尚子に影響されて、髪をバッサリ切ったんです! 大したことではないのですが(笑)、長年のばし続けた髪を切るのは勇気が必要でした。自分にはロングヘアしか似合わないと思い込んでいたのですが、切ってみたら想像以上に良かった。あと不思議ですが、髪を切ったことをきっかけに、仕事や人間関係で悩むことも少なくなった気がします」
大切にしてきたものをあえて「手放す」決断――ときには失敗することもあるかもしれませんが、本心に向き合い行動した時間と経験は、きっと自分を支える力になってくれることでしょう。
―私が「手放して」よかったもの―
<文/青山文 イラスト/ただりえこ>
(エディタ(Editor):dutyadmin)



